1996年9月、息子が亡くなってから1年8ヶ月経った頃、赤い屋根の様子を月に一回報告することに併せて、井野口さんとの出会いをFMラジオ番組用に書いた原稿があります。当時の『私』や当時共に過ごした仲間を、今ここにいる『私』が抱きしめてやりたい衝動に駆られます。
疲れた翼を憩めて 赤い屋根
※高く澄み渡った空、そして少し遠ざかった太陽の下でツクツクボウシが、残された命をふりしぼるように鳴いている。丘の上の赤い屋根の窓際や、壁を這う緑色の蔦の葉の中にも、ちらほらと黄色く色づいた葉が目立ち始めてきた。
大きく開け放された東西の窓から吹き込む風は、円熟味を増し深みを帯びてきた。
そんな風に迎えられ席に着くと、滲んでいた額の汗がすーっと引いていく。
遠くに連なる中国山地の山々が、日没前の太陽の光を反射して、美しい輝きを見せてくれるが、ひと月前の真夏の色とは少し褪せた物憂げな表情で街を見下ろす。
空に浮かぶ雲に光を遮られ、くっきりと陰影をつけたその山影には、一枚の日本画を思わせる風情が漂い、窓の下の林の中から聞こえてくる蝉やヒヨドリたちの混声合唱が、その絵を一層もの悲しく演出する。
赤い屋根の夜の店内
蝉たちの合唱が次第に小さくなり、それがやがて消える頃、空と大地の間の広い空間は黒いベールに包まれ、藍色の空には月がおぼろげに顔を出し、林の草むらからはスズムシの「リーンリーン」という大合唱が始まる。神経を集中させ耳を澄まして聴いてみると、時々「チンチン・・・チンチン・・・」というカネタタキの合いの手が入る。
「ほら・・・あの音色がカネタタキよ」と赤い屋根のママが説明する。
店に集う人々もいつの間にか耳をそばだて、戸外の涼やかな音色に聴き入る。
そのカネタタキの音色を聴き取った者は、それぞれに感動の吐息をもらす。
深まり行く秋の夜を同じ時代に生を受けた人間同士が、その一瞬の刻を共有した虫たちと出会えた幸せをかみしめた。
閑かに神々しく photo by T.Naito
(ブログ・石内の四季)
おぼろげだった月も、やがてその輪郭をくっきり現わし、ありとあらゆる地上のできごとや、人間の心の奥深くまで、すべてを見通す神の如く、閑かに神々しく黄色い光を四方に放つ。
僅か四半世紀も共に生きられなかった息子の歴史をこの空の月に重ね合わせてみる時、人類発生以前から未来へと生き続けるこの月に、息子の想いを託したい衝動に駆られる。
月の世界からやって来て、私の息子として21年間共に生き、また月の世界へ戻って行ったのだろうか?
子どもの頃読んだ竹取物語の翁と媼の悲しみを今私は痛感している。
赤い屋根からの夜景
山陽本線の広島駅から快速電車で東へ30分行くと、東広島市の中心部である西条町という街に着く。
この街は江戸時代、交通の要衝として栄え遺跡や文化財も数多く残っている。
日本三大酒どころとして知られる西条の街には、通称「酒蔵通り」と呼ばれる通りがあり、銘柄名を書いた四角い赤煉瓦の煙突に、白壁の土蔵と鎧格子が独特の風情を醸し出す。
最近では広島大学が移転してきて、学園都市、テクノポリスのイメージも強くなった。
JR西条駅には日本の学生や外国からの留学生も目立ち、私の記憶の中にある田舎町西条とはずいぶん雰囲気が変わっていた。
私が数十年ぶりに西条を訪れた目的は、この街在住の詩人・井野口慧子さんを訪ねるためであった。
井野口さんは今春「夕空晴れて」というエッセー集を出版された。その本がきっかけとなり出会いをいただいたのである。
次回へつづく・・・