『命の授業』 | アイビーの独り言

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加藤りつこのブログ

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『腰塚勇人・命の授業』
講演会は広島市中区にあるYMCAホール(300席)で開催された。

『幸縁会』
腰塚さんは講演会を上記の漢字で書かれていた。

なんて温かい表現なんだろう。腰塚さんの現在の心の中心に存在するものが見えたような気がした。
ブログを見ると腰塚さんは大事故に遭われているので、今日はきっと車椅子での講演だろうと思っていた。
講演の前にフルートとピアノの演奏があった。
優しい音楽に心をほぐされ、私たちは腰塚さんの登壇を待った。


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 雨上がりのステージ  石内の四季より



いよいよ司会者の紹介が終わり会場の空気が一瞬止まった。
次の瞬間、後部座席の方から、どよめきと拍手が起こった。
何と!腰塚さんが客席の左端通路を一人で杖も使わず、ゆっくり歩いてステージへ向かっておられるではないか!
極めつけは、ステージ中央の階段を数段ゆっくりではあるが、自力で登られたのだ!
健常者と呼ばれる人たちにとっては『当たり前』の行動だが、腰塚さんにとっては、感謝と感動と歓喜がみなぎり『幸せ』を感じられる瞬間なのだ。
生きていることの素晴らしさを伝えるために、わざわざ困難なルートを辿り登場されたのだ。
私は胸がジーンと熱くなり、あの日のもとへタイムスリップしていた。脳裏をよぎったのは息子・貴光の死を確認した、あの寒空の下のがれきの中での地獄絵のようなワンシーンだった。


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 消えてゆく飛行機雲 石内の四季より



昨日まで、体内には熱い血液が順調に廻り、柔らかい皮膚を持ち、足で歩き回り元気で夢を追っていた『一人の人間』が、今、目の前に横たえられ、まるで『物体』のように固く冷たく身動きひとつできなくなっている。
自分の意思で何ひとつできない。目の前に居るのに、会話もできない・・・
『あぁ・・何故?何故?こんなことに・・・私が代ってやれたら・・・』
あの慟哭の苦しみは、私が生きている限り消え去ることはない。

人間の細胞や機能は生きていれば回復への希望が持てる。
腰塚さんは言われた。『両親がくれた強靭な体が命をつないだ』
首にはたくさんの神経がある。その中の一本だけが辛うじて切れなかったのだそうだ。
それは、厚い筋肉と太くがっしりした首が神経を守ったからだと言われた。

手術も成功し命はとりとめたものの、身動きひとつできない自分の身体がたまらなく悔しかったと言われた。
数時間前までは当たり前だと思い、気に留めることもなかった行動が何ひとつできなくなった腰塚さんの無念、絶望感が、私が息子の亡骸を抱き締めた時の、あの絶望感と重なり涙が止まらなかった。
腰塚さんの全身から『感覚』がなくなり、目と鼻と口と耳だけが辛うじて命あることを教えてくれたと言われたが、当時の状況から想像すると、それはご本人にとっては、むごい仕打としか申し上げようがない。
腰塚さんの前半の人生を想像する時、この方には『挫折』という言葉は無かったのではないか?と思えた。筋肉質で長身、スポーツ万能で知性的。
明るい性格でカリスマ性に富み、その上ここまで天は二物も三物もお与えになるか!?と思えるほどお顔立ちがいいのだ。

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     存在感    石内の四季より


事故前までの腰塚さんは『本気でやればできる!』と生徒にも『喝』を入れ、できないことを認めたくなかった。とお話されていたが、それは容易に想像できた。ご自身がカッコ良過ぎる。自分の天職だと断言できる教職に就かれ、コンプレックスなるものが微塵(みじん)も感じられない方であったかも知れない。
身動きひとつ自力でできない状態の腰塚さんは、絶望感で死ぬことしか考えられなかった。とお話された。
人からの励ましや慰めに、一応頷き、対応はしても心の奥では拒絶していた。
『あなたも同じようにやってみてよ!』
傲慢な心が牙を剥く。
死ぬことしか考えられなくなっても、死の選択肢さえ与えられない腰塚さんは、舌を噛むしかないと思い舌を噛んだ。
しかし、痛くて最後まで噛みきれなかった。

『死にたい』と思う気持は『生きたい』という心の叫びでもあるような気がする。
私もこの悲嘆のプロセスで同じことを感じて生きてきた。
でも、今は生きていて良かったと思う。
腰塚さんも生きていて良かった。と言われている。

生きていたからこそ、今、ここで私は「あなた」に出会えたのだから・・・


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  ジョウビタキ ♂   石内の四季より

☆命が大切。
命を大切に。

そんなこと
何千・何万回いわれるより

『あなたが大切』

その言葉を言われるだけで
私は生きていける。

腰塚さんの心からほとばしる言葉に私は心の底から共感でき涙があふれた。

事故後はじめて、広島へ来られた腰塚さんは、平和公園へ行かれ、原爆ドームが平和を願うシンボルとして、後世へメッセージを送り続けていることに気づかれた。

そして、自分を支えてくれ、生きざまを振り返らせてくれるシンボルに気づかれたという。

子供はできないかもしれないと告知されていたが、奇跡的に息子さんがお生まれになった。

『子供は希望の光となり、生きる支えとして大きな存在になっています。』

腰塚さんの苦しみの長い時間は、すべて糧となり、豊かな心を耕しておられる。

アイビーの独り言
  ジョウビタキ ♀ 石内の四季より



『生きるための大きな支え』
それを失っている私はなかなか『完全復帰』には至れないが、それでも私は今、『生きてみたい』と思えるようになった。

出会っていただいた方々のお陰だと感謝しつつ生かされている。

『幸縁会』に感謝!