<ボクシング>BOX界の革新児・石田、ヘビー級王座に敗れ引退決意


ボクシングの日本ヘビー級タイトルマッチが30日、後楽園で、王者の藤本京太郎(28歳、角海老宝石)と、同級1位の石田順裕(39歳、グリーンツダ)の間で争われ、2-1の僅差判定で京太郎が3度目の防衛に成功した。論議が分かれる微妙な判定だったが、39歳の石田は、「自分でこの後のことは決めている」と、この試合を最後に引退することを表明した。プロ生活15年間で39戦27勝(11KO)19敗2分の成績だった。

 ヘビー級の戦いの最後は体格差が優越を決める。本来、ミドル級が主戦である石田は、ヘビー級転向に1年以上時間をかけたが、やはり20キロ以上の増量には無理があった。石田は序盤から距離をとって京太郎より遥かに勝るスピードを活かした左から右のコンビネーションで王者をコントロールしたが、5ラウンドの終了時点での公開採点では、一人がドローで、2人はわずか1ポイントだけ石田を支持。それを聞いて石田は、「たった1ポイント差なら前に出て打ち合うしかない」と、戦術を変更したが、増量の影響もあってスタミナが持たない。至近距離からの京太郎の重さのあるボディとショートフックを浴び、それらが次々とポイントへ反映された。
「クリンチにくるのはわかっていた。そこを井上尚弥のようなバックステップでいなしてパンチを打ち込みたかったが、体が動かなかった」
 39歳。もう限界だった。

 両陣営の応援団が後楽園を割れんばかりに白熱させた最終ラウンドは、苦しい京太郎がほとんどクリンチに逃げるという醜い展開。勝敗は判定にもつれこみ、ジャッジの一人が「96-95」で石田につけたが、残りの2人が「96-94」「96-95」で京太郎を支持して悲願のヘビー級タイトル奪取は叶わなかった。

「悔しい。体重差はハンディとも思わなかった。悔しいね。勝っていたと思っただけに」
 石田は、試合後、15年にわたるボクサー人生に終始符を打つことを明らかにした。


 アマチュアの世界で名を馳せた石田だったが、プロ入りするのは遅かった。児童福祉施設の職員をしながら教えている子供たちにボクシングの素晴らしさを伝えるためにプロへ転向した。世界挑戦の実現さえ難しい中量級の世界で、暫定ながらWBA世界スーパーウェルター級暫定王座を奪取。敵地メキシコで、不本意な形でタイトルを失ってから、単独でアメリカに渡った。名だたるジムで武者修行をしながらチャンスを待った。

 2011年4月にラスベガスのMGMでWBO世界ミドル級4位で、当時27戦全勝のジェームス・カークランド(アメリカ)と対戦。初回に3度ダウンを奪い、全米を驚かす大番狂わせでTKO勝利した。まさにボクシング版のメジャーリーガーで、ロンドン五輪金メダリストの村田諒太が「世界最強」と恐れる現WBC世界ミドル級王者のゲンナジー・ゴロフキンの持つWBA世界ミドル級タイトルにも、2013年3月にモナコで挑戦。3回にKO負けを喫したが、拳ひとつで世界へ殴り込んだ異端児だった。
 若いころは、リーチを活かす足を使ったアウトボクシングのスタイルだったが、アメリカに渡ってからは「そんなボクシングではファンに喜ばれない」とリングの中央で受けて立つスタイルに変えて大成功を果たした。この日、体格では劣る京太郎を相手に足を止め、リング中央で勝負した石田の姿は、紆余曲折をへて彼が最後にたどりついたプロボクサー石田の理想の姿だった。

 引退後については、関西でボクシングだけでなく、アスリートのコンディショニング調整も含めた総合的なスポーツジムの経営に乗り出す考え。アメリカで脚光を浴びながらも、正規の世界チャンピオンになれなかったことで日本では、そこまで大ブレイクはしなかったが、石田は、日本のボクシング界に確かに革新的な大きな足跡を残した。心からお疲れ様と言いたい。今後、アメリカのマーケットで通用する次なる未来のチャンピオンをボクサーを石田がどう育成していくのかが楽しみである。
(文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)