BOXING EYEさんが記事にしてくださいました。



”石田順裕 選手”

★世界的に層の厚いスーパーウェルター級、
日本は、
1970年代前半から1980年代初頭にかけて、
 ・輪島が3度獲得し通算6度防衛後、
 ・工藤が3度防衛し、
 ・三原も米国で王座に就いた。

しかし
 三原が初防衛で陥落後、
 石田順裕選手が2009年に暫定を獲るまでの27年間
この階級は世界獲得は無かった。

★この27年の間(1982-2009)、
日本人で一人だけSW級世界王座に挑戦した選手がいた。

それがこの試合(1992年12月)。
https://www.youtube.com/watch?v=ATPDynBqLAA
『 「カーロスエリオット(八戸帝拳/米)との王座決定戦
 に勝ったジルベール・デレ」
 からKO奪取したパジエンザ』
が、王座剥奪。
 その空位決定戦に、
 当時の日本王者上山仁が急遽出場した。

場所は、
対戦相手の1位JCバスケスの自国アルゼンチン。
当時39勝29KO1敗で、この1敗は反則負け。

一方、
上山も当時26戦して1敗のみ。
この1敗(1分)の相手である吉野弘幸とは
共に日本タイトル10度防衛同士でこの前年に対戦し、
KOで雪辱した。
その後、
2度の防衛を重ねてV12としたあと、
デュランに勝ったパットローラーに勝ち世界ランク5位まで上昇したところで
この試合となった。

結果は初回KO負け。

惨敗。

この階級の日本と世界の差を痛感した試合となった。

 王者となったバスケスは、
 この王座を10度防衛。
  陥落後も1度返り咲くなど、一流王者となった。

上山はこのあと日本王座防衛に専念。
当時は昭和20年代に活躍したライト級王者秋山政司(極東)の19度防衛が最高で、
これを抜く20度防衛後王座を返上。引退。
上山は、
リック(V22)に抜かれるまで記録保持者だった。
32勝20KO2敗1分

「日本を20度防衛した上山が、
 世界戦では何も出来なかった」
のをはじめ、
 上山以外誰も世界挑戦すら出来なかったこのSW級で、
 30年間近く暗黒の状態が続いていたなかで
暫定であれ世界奪取した石田選手の存在は大きい。
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★石田選手は、
世界獲得以外にも数々の功績がある。

常に強い相手から逃げずに立ち向かっていった、その結果は以下のとおり。
 ・13年前、6戦目でOPBF王座獲得
 ・ビータイト優勝&MVP
 ・日本王座獲得、敵地で2連続KO防衛後返上
 ・日本ランカー経験者に通算11勝
 ・世界ランカーに通算7勝
    宗国烈
    大東
    ママニ
    アベンダーニョ(2勝)
    バルデス
    カークランド
 ・世界暫定王座獲得1度防衛

★そして海外で、
 ・ミドル級の全勝王者に2度世界挑戦
 ・世界一線級との数多くの対戦。
    カネロ兄
    カークランド
    ポールウィリアムス
    ピログ
    GGG

★全37戦中、
 ・関西以外18戦(ほぼ半数)
 ・関西以外敵地で戦った場所7箇所
   香川、
   横浜、
   東京10戦、
   モナコ
   メキシコ2戦
   ロシア
   米国2戦
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★6回戦デビューしてから13年、
SW級~ミドル級、
「さらにミドルから20kg増のヘビー級」で、

これほどまでに強豪との対戦を追い求めて、

場所・相手・階級を問わず戦い続ける日本選手は、過去にも存在しない。



これほどまでに強豪との対戦を追い求めて、場所・相手・階級を問わず戦い続ける日本選手は、過去にも存在しない。






良いっすねーw

BOXING EYEさん、ありがとうございます。