逆「力石」の72・5キロ→90・7キロ…「増量苦」にあえぐ石田順裕

産経新聞 

逆「力石」の72・5キロ→90・7キロ…「増量苦」にあえぐ石田順裕
ボクシング BA世界スーパー・ウエルター級暫定タイトルマッチの石田順裕。「増量」に苦しんでいる(写真:産経新聞)

 187センチの長身に端正なマスク。かつてファッションモデルを務めたこともある男の肉体は、以前とは見違えて“ごつく”なっていた。

 「今の体重は88キロぐらいですね」

 世界ボクシング協会(WBA)スーパーウエルター級元暫定王者の石田順裕(のぶひろ)=グリーンツダ。日本ミドル級2位にランクされる38歳は、4月30日に行われる日本ヘビー級チャンピオン、藤本京太郎(角海老宝石)との同級ノンタイトル戦に向け、大多数のボクサーにとってはあるまじき「増量」に励んでいる。

 小学1年で大阪帝拳ジムの門をたたき、興国高で選抜大会ライト級で優勝。近大卒業後は児童福祉施設勤務を経て、25歳でプロデビューした遅咲きだ。2009年8月に奪った暫定王座を1度防衛したが、メキシコでの王座決定戦で敗れ、正規王座獲得に失敗。昨年8月に大阪でノンタイトル戦を行うまで、3年以上にわたって海外を主戦場にしてきた異端児でもある。

 ボクサーとしての終幕が近づくにつれ、思いを巡らせたのは引き際をどうするか。熱望していたロンドン五輪ミドル級金メダルの村田諒太(三迫)との対戦はかなわなかったが、ヘビー級への転級という突拍子もないアイデアが浮かんだ。

 「誰もやったことがないような、ずば抜けてアホなことをしてみたかった。ボクシング人生を振り返ったとき、面白いことをしたなあと思いたいんで」

 上限72・5キロのミドル級から、下限90・7キロの最重量級へ。試合のたびに10キロ近い減量を強いられていたが、今度は逆に10キロ増やさなければいけない。「簡単やろ」。甘い考えはあっけなく打ち砕かれた。

 ノルマは1日5食。「おやつの牛丼」などで体重アップを図るも、体重計に乗るたびに愕然(がくぜん)とした。「どれだけ食べても、朝起きて量ったら不思議なことに減ってるんです。こんなにしんどいものとは…」。過酷なトレーニングが、摂取カロリーをあっさりと打ち消してしまうジレンマとの戦い。それでも、ボディービルのジムに通い詰めて肉体改造に励み、目標体重まであと2キロ余りに迫った。

 格闘技イベント「K-1」元王者の藤本は、体重110キロ。「20キロ以上の体重差がある選手と戦うわけですから、正直怖い。圧倒的なパワーの差があると、技術って殺されてしまうんですよ」。石田はそう言いながらも「京太郎君にパワーで対抗しても勝てない。スピードとスキルを生かして戦う」と力強い。

 アマチュアのキャリアを歩み始めた高校1年時、51キロが上限のフライ級(プロは50・8キロ)だった。それが今は14階級上で約40キロも重いヘビー級で戦おうとしている。日本ボクシングコミッション(JBC)は健康上の問題などを理由に転級を認めていない。「ボクシングをなめてるんじゃないか」という反対意見があるのも承知の上だ。

 話を聞き、ある柔道家の「無謀」とささやかれた挑戦を思い出した。1990年の全日本選手権。体重無差別で争うこの大会で、前年の世界選手権男子71キロ級を制した古賀稔彦が、100キロを超える重量級の大男たちを次々に破って決勝に進んだ。95キロ超級と無差別級の世界チャンピオン、小川直也には屈したが、「平成の三四郎」の挑戦は今も語り草となっている。

 石田は言う。「モチベーションは世界戦と同じくらい。弁慶を降参させた牛若丸のように戦いたい」。誰の目にも無謀と映るかもしれないが、ボクシング人生を懸けたベテランの心意気は買いたい。(細井伸彦)