舞台裏(完結)
試合後~ありがとう~3.30モナコWBA世界ミドル級タイトル戦⑪

(傍でカメラを回し続けたTUG_manのブログより)




$石田順裕オフィシャルブログ 「そんな時もあるやんか」by Ameba


選手控え室。関係者一同がそのエリア一帯へと詰めかけ、通路まで溢れ出している。声、物音が幾重にも重なり、ザワついている。

「あ~強かったぁ!レベル3で竜王に挑んだ感じ」

石田順裕は笑顔で明るく振る舞っていた。率先して冗談を飛ばす。どこかスッキリとした表情にさえ見える。

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試合トランクスを脱ぐとファウルカップ姿になった。両拳。一時間以上かけて丹念に巻いたバンテージはもう外されている。

“アハハハハッ!ホイミ!ホイミ使ってアハハハ!”

徳山氏がツッコミを入れると薄暗い控え室に笑い声が充満した。麻衣夫人が笑う、タケヤンが笑う、みんな笑う。

“え?レベル?ホイミ?え、なんてなんて言ったんですか?”

取材に訪れた記者が真面目に質問を返す。

「ええ。ハサミのヤツで竜王に挑んで、レベル3で」
“ああ、ドラクエ、ドラクエでレベル3で竜王に…”

石田順裕はまだボケを引っぱる。記者がクスッとしてペンを取る。

一瞬会話が途切れる。

間。静まり返る。

空気に違和感が出る。

“それそのままニュースの記事になるんちゃいますか?!”

竹中トレーナーがツッコミをかぶせた。それでまたみんな少し笑った。静寂から逃れる。

感じている。どこか心にポッカリと空白がある。こみ上げて来る。だから冗談でかき混ぜる。

「あ~くそっ!」

石田順裕はそう洩らすと、奥のソファーに腰をかけた。左手に持ったミネラルフォーターを一口ゴクリと飲み込んだ。

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ゴロフキンがあんなに強いとは。左が速かった。相手の距離が良かった。そんな会話が続く。みな口々に試合を振り返っている。

石田順裕の耳に届く。なんとなく頭に入る。試合の事を思い返してか、しばらく無言になる。

ゴロフキン陣営か。ドアの向う。ワイワイと盛り上がる歓喜の声が、奥の方から届いて来る。

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「前で戦う。リングの中央でファイトするっていうのが作戦でした。僕は逃げるつもりはなかったので。倒れたけど、それは実行できたからスッキリはしてます」

石田順裕は全て出し切った。覚悟の上で戦った。今はスッキリとしている。気持ちをコップに例えればむしろ満足感でいっぱいだ。

しかしそれでも、上からポチョンと悔しさが垂れて来る。

“今後、なんですけれども?”

記者が進退について答えを求めると、徳山氏が諭すように止めに入った。“今は聞かないでくれ”後輩の心中を察し気遣う。

インタビューが終わると試合後のドクターチェックが始まった。“オーケー!”ドクターは石田順裕の肩をポンポンと叩いた。

ダメージがないとは言え倒されてしまった事は事実だ。身の安全を確認し、一同ホッと肩をなで下ろす。

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それからエルナンデスと抱き合った。今日の日まで共に全力で戦って来た。周りから再び“お疲れ!”と拍手が起こった。

長かった。

ラストチャンスか。ゴロフキン。あいつ強かったな。強いチャンピオンと戦えて、本当に良かった。

つい先程行われた試合が、どこか遠い昔の出来事のように感じる。

そうか。戦いは終わったんだ。

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そうこうしているうち送迎バスの時間が来た。石田順裕とその一行は裏口通路を抜け、表へと出た。外はゴージャスなホテルが幻想を演出している。

宴の後。会場へ足を運んだモナコセレブたちがエントランスでお迎えの車を待ち、行列をなしていた。

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石田順裕は改めて会場となったホテルを見上げた。そこにはまだ巨大ポスターが照らされていた。

勇ましい自身の写真に見送られながら、バス停までの道を歩く。深夜12時を回っていた。外はもう真っ暗だ。

暗がりの中、ファンに発見されると呼び止められた。サインに握手。そして記念写真に心良く応じた。

「オレはどうだったのか」

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石田順裕はバスに乗り込むと隣に座った竹中トレーナーに聞いた。試合中は瞬時の判断、反射で動くため自身では戦局を分かりかねる事がある。

“3秒くらい経ってからですかね。アィムオッケー!言うて立とうとしてましたけど、むこうトレーナーからみんなもう出て来てましたもん”

竹中トレーナーは一つ一つ細かく、ダウンシーンから逆回しで回想するように試合内容を説明した。

石田順裕は話の一段落ごと頭の中で再生した。視線を外し、少し考えてから「いいとこはなかった?逃げてはいなかった?」と短く質問を返した。

“良いのも入れてました。逃げてはいませんでしたよ”と聞くと「そうか」と頷いて窓の外を見た。

またポチョンと悔しさが垂れて来た。

ポチョン、ポチョン。

一滴、また一滴と感情を揺らす。少しずつスッキリはこぼれ、いつか悔しさでいっぱいになるだろう。

「リングの中央で戦ってた?」

“戦ってましたよ。リベンジは?”

「いやいや…」

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石田順裕は薄く笑うと、遠くを眺めるようにして前を向いた。

“クォーーーーーーン”

チームISHIDAを乗せたバスが、夜のモナコを走り抜けて行く。

「おもしろい試合だった?」

しばらくの沈黙の後、石田順裕は最後にそう聞いていた。


“幸運のホテル”コロンバスホテルに到着した。石田順裕はなかなか立ち上がろうとせず目を閉じてうつむいていた。

“着きましたよ、着きましたよ”と急かされるとやっとバスを降りた。

石田順裕は降り口でエルナンデストレーナーとすれ違うと

「もうこれで、これで」

と言って手のひらを平行にして首の前で2、3振った。もうこれで最後にして下さい。エルナンデストレーナーは無言でそれを受け流した。

ロビー階に上がると石田順裕の他にも、試合を終えたばかりの選手団の姿がチラホラと見えた。

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チームISHIDAは、先日前祝いをした席のすぐ近くのテーブルに座った。

石田順裕は早速試合の最新記事をチェックする。オレはどう戦ったのだろう。どう映ったのだろう。

「あれ僕、失神なんてしてました?何で止めんねん思うたんですけど」

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試合をまた振り返って行く。そうしている間にも顔がみるみる内に腫れ上がって行く。激闘を物語る。

石田順裕は明日一番の便でロスへ帰る予定だ。朝の7時半には用意を済ませこのホテルを出る。

勝ったら帰る日をズラそうか。昨日はそんな話題も出ていた。

「そろそろシャワーでも浴びに戻ります」

石田順裕はそう言って席を立った。

“ヘイ!チャンピオン!一緒に写真を撮ってくれないか”

その時、突然エレベーター前で声をかけられた。見ると顔をパンパンに晴らした男だった。

男の名はパオロ・ガッサーニ。パオロはアンダーカード第2試合に出場し1ラウンド、壮絶なKOで敗れていた。

マットに這いながら、夢の中でも戦っていたあの男だ。35歳。これで4敗目。2連続KO負けを喫してしまった男だ。

“オレは、ここまでの男だったのか…”

パオロは失意の中、メインの石田順裕vsゴロフキン戦を観た。そこには最強王者に立ち向かう石田順裕の姿があった。

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“あなたのファイトは素晴しかった。オレもまた立ち向かうんだ。這い上がるって決めたんだ。ファイトするんだ”

パオロはファイトだと拳を作り、石田順裕に熱く語りかけた。

戦いたくてもリングにすら上がれない者もいる。チャンスは限りなく少ない。だからファイトするしかない。ファイトするしかないんだ。

“ポーン”

石田順裕はエレベーターに乗り込むと家族の待つ部屋へと向かった。持って帰るはずだったベルトは手にしていなかった。

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シャワーを浴び、ひとしきり準備を終えると、夜が明けるのを待つ。

ボクサーは試合後できるだけ寝ない方が良い。脳を起こしていた方がダメージは早く回復するからだ。こうして朝まで起きている。

いいさ。寝た方がいいと言われたってどうせ今夜は眠れない。

落ち着かない。頭にもたげるのは試合の事ばかりだ。ダイスケトレーナーに電話を入れる。少し落ち着いたみたいだ。

身体はヘトヘトだ。ベッドに横になる。

それでもすぐにまた試合の残像を思い出す。スッキリしたはずじゃなかったのか。やりきったはずじゃなかったのか。

頭が悶々とする。ベッドから起き上がった。

横の麻衣夫人はもう眠りについている。一人になる。スマホをいじり試合速報動画を探す。あった。もうアップされている。

妻を起こさないようにと石田順裕は部屋を出た。すぐ目の前にあるエレベーター前のソファーに座った。試合動画を再生させた。

4インチほどの液晶画面に映った戦いを観る。

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ああ。こんな感じだったのか。左。左に左合わせたかったな。右入ると思ったんだけどな。

うわそんなん食らうなよ。あ、これはいいの決まってるやん。

行け。

そら行けよ。もう。

そこでこれかよ…くそ。

途中止めては同じシーンを何度も繰り返し、一度見終わっても最初から何度も再生した。

石田順裕はオレンジ色した間接照明に照らされている。

静まり返ったホテルの廊下。何語か知らない実況がワンワンと騒いでいる。画面の中。石田順裕はきらびやかなリングで戦っていた。

“ポーーーン!”

深夜2時を回っている。みんな寝静まっている時間だ。エレベーターが止まる音がこだまするように響き渡った。石田順裕は誰かと思い顔を上げた。

「あっ」

扉が開くとそこからゴロフキンが降りて来た。階が一緒だと言うのは知っていた。祝勝会の帰りだろうか。偶然にも居合わせてしまった。

ゴロフキンは気のせいか戸惑った表情を見せたように感じた。しかし次の瞬間すぐにニコリと微笑んだ。

石田順裕は立ち上がった。ゴロフキンも歩み寄って来た。

ロングレンジ。この距離で左を差し合ったな。

ミドルレンジ。この距離ならベストカウンターが打てるな。

ショートレンジ。しこたま打ち合ったよな。

戦った2人。

殴り合った拳をどちらからともなく差し出した。

そして2人拳をギュっと堅く握りしめ、たった一言だけ言葉を交わした。

“Thank you very much”


本当にありがとう。



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あとがき


~モナコの奇跡~

石田順裕の闘志。前に出る姿。思い返すと今でも鮮明に蘇る。

結果、モナコの奇跡を起こす事はできなかった。

『石田順裕引退へ』そういう記事も出回った。ラストチャンスに懸けた石田順裕の壮絶な戦いだった。

「やれる事はやったと納得しようとするけど、やっぱり悔しい。勝負事は勝たんと駄目です。負けて納得できるもんじゃない」

試合直後はスッキリしていた石田順裕だが、帰国後に悔しさが溢れ出して来たと言う。

そんな石田にルディトレーナーは“日本で何戦かやった後またロスへ来い”と言い、麻衣夫人は“もう一度強い所を見せてほしい”と言った。

石田順裕は不思議な魅力のボクサーだ。本人がやめようとしてもいつも周りがそうさせない。

敗れてもなお戦う姿、劇的な勝利を期待してしまうボクサーなのだ。

「最後は日本のリングに立ちたい」

石田順裕はかねてより目指していた日本のリングへ上がる事が決まった。8/4大阪で一戦、そして年末頃東京で一戦。年内にあと2戦行う予定だ。

そして…

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「ホンマ、ずっと現役でやって行きたい気持ちはもちろんあるけど、肉体的にも精神的にも、もう限界だというのが正直な所です」

石田順裕は魂のあらん限りを燃やし、リングで戦って来た。

もう一度世界を目指す余力があるくらいなら、それをとっくにゴロフキン戦に費やしていただろう。それぐらいギリギリでやって来たのだ。

それでも“もしまたスターボクサーから指名されたら?”そう質問すると

「まあ、条件次第ですね。ファイトマネーがいっぱいもらえれば」

石田順裕はニカッと白い歯を見せてイタズラに笑った。

見果てぬ夢、海外ビッグマッチ。世界中のボクサーがその巨大なステージ、栄光のリングを目指して戦っている。

戦いは試合だけじゃない。365日。試合以外の364日。試合前。そして試合の後どうするかこそボクサーの真価が問われる、本当の戦いだ。

夢追い続ける事を許される者は数少ない。己に勝つか、負けるか。

“もう引退だ”

石田順裕はその度に幾度となく立ち上り、光り輝く世界の檜舞台に立った。

“もうダメかも知れない”

そんな石田順裕の勇姿を見て、再び戦う事を決意したボクサーもいた。

「あきらめなければ絶対に夢は叶うんだ」

戦い続ける。石田順裕が拳で語った不屈のメッセージ。

僕はそれこそが石田順裕の起こした“モナコの奇跡”だったのだと思う。


“拝啓。いかがお過ごしでしょうか。
この度はモナコでの試合をご支援いただいたこと感謝しております。
結果としてはお気持ちに応えられなかった事は悔しいですが
私なりに価値ある試合だったと真摯に受け止めています。
日本で長く試合をしていないので応援して下さる方の前で
もう一度リングに立ちたいと思っております。
ご支援、誠にありがとうございました。
今後とも応援の程、宜しくお願い致します。
石田順裕”



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