$石田順裕オフィシャルブログ 「そんな時もあるやんか」by Ameba

舞台裏・WBA世界ミドル級タイトルマッチ⑤ 試合会場入り~戦う覚悟~ 

(傍でカメラを回し続けたTUG_manのブログより)






「ボクシングかい?ワオ!そのボクサーはいくつなんだい?37か。それはいいね。若すぎもなければ年を取りすぎてもいない。一番いい年だよ!」

タクシーの運転手に行き先を伝えただけでボクシングの話題になった。

日本人ボクサーがメインイベントに立つんだよ、と教えてあげると恰幅の良い体つきした運転手が食い気味に質問してきた。

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街を美しく彩るような緑、青、赤、オレンジ、白の明かり。宝石の光。夜のモナコはまるでジュエリーボックスのようだ。

小雨の中を走り抜ける。ワイパーが小刻みに水滴を切っている。

なんでもモナコは地中海性気候で晴天が多く、雨はめったに降らないと聞いていたが、またしても雨が降って来た。

これからリングに立つボクサーたちの流した汗が、搾り取った水分が、蒸発し雲となり、重みに耐えきれなくなって落ちて来たのか。それとも今日と言うリングに立つ事なく、敗れて行った者たちの悔し涙かも知れない。

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海岸沿いを走り曲がりくねった道を行くと石田順裕vsゴロフキンの巨大垂れ幕が見えて来た。

“ウィアースポルティンクラブ!”

試合会場となる高級リゾートホテルに到着した。送迎エリアには噴水があり、湧き出る水の音が静かに響き渡っている。そこからレッドカーペットが敷かれホテル内まで一直線に伸びていた。

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間もなく開演時間だ。中に入るとエントランスはスーツ姿の関係者やイベントスタッフで早くも賑わいを見せている。とそこへモナコセレブたちが続々と入って来た。

モナコのパーティー会場ではどんな派手にドレスアップしても、必ず自分よりド派手な格好をした人がいると言う。この国のお洒落はどれだけ優雅に振る舞うか、ゴージャスonゴージャスが基本だ。

レッドカーペットを伝ってさらに奥へと進む。真紅のじゅうたんがナビゲート役をしてくれていた。ハイソ感溢れるレッドカーペットも今夜だけは血の色の赤に見えてくる。

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光り輝くミラーに飾られたトンネル通路を抜けると、じゅうたんの先に四角いリングが見えた。まばゆいばかりのスポットライトに照らされている。

真っ白なリングはじき所々赤に染まり、夢の舞台は戦場と化すだろう。

パンフレットにも載ってない前座の前座が始まっていた。こんな大イベントでお披露目するくらいだから有望なホープに違いない。まだ10代とおぼしき若者が殴り合っていた。

“ヒューヒュー!パチパチパチ!”口笛と拍手が巻き起こる。

2人の戦いを取り囲むようにして席が並べられていた。リングサイドの価格は日本円で60万、格安シートでもおよそ2万5000の値がついている。

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さらに厳重なセキュリティー体制のもと、特別レッドシートも設けられていた。まだ見えていないがここにモナコ君主、アルベール2世とそのお妃が座す事になっている。

王覧試合。

貴族に囲まれて剣術を披露する。今宵、そんな中世時代の栄華な戦いが甦る。剣を拳にかえて。

メインが近づく頃には満席になるだろう。モナコ中の、いや世界中から観客が訪れ、そのもようは世界50カ国以上にもおよび放送される予定だ。

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“Oh!ジャバニーズガール!ジャパニーズガール!”

髪を盛り、白いドレス姿の美しい日本人女性が外国人に呼び止められ写真撮影をせがまれていた。見ると華やかに着飾った麻衣夫人の姿だった。

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「日本の会場やったら前の試合が終わるまで家にいるんですけど、一緒のバスじゃないと来れなかったんで早めに来ました」

リングから遠く離れた隅の方で友人とイベントを眺めていた。夫の出番まではこうして自由に過ごすのだと言う。

“ベッドに置いてあるダルマ持って来て”

先に会場入りした石田順裕から忘れずに持って来るよう電話があったらしい。麻衣夫人の席にはあの必勝ダルマが座っていた。

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ダルマにはしっかりと石田順裕の願いが込められている。

“勝利”は願いとは何か違う。ダルマに願いを込める時石田順裕はそうつぶやいた。勝とうと思えば勝てる相手はいくらでもいる。そうではない。夢は。世界チャンピオンになる事だ。

これまでマッチメークに苦心していた石田だが、実は日本のリングで試合の目処は立っていた。来月4月に行われるグリーンツダジム主催の興行『GTカーニバル』へ出場するというものだった。

そして他にも話はあったと友人のG氏は語った。

「スパーやったクイリンからやろうって何度か言われたみたいですよ。6月頃にって。でも話だけなんで本当にやれたかは分からないですけどね」

例えばここにもう一枚のカードがあったとしよう。

WBO新王者に輝いたピーター・クイリンというカードだ。日本で華々しく勝利を飾り戦線に復帰、そして弾みをつけクイリンへ挑む。そんな構想もない話ではなかったのだ。

手の内を知り、まだ成熟し切ってないクイリンが相手ならゴロフキンよりもグッと勝率は上がったはずだ。

しかし石田順裕はゴロフキンへの挑戦を選んだ。

ここ1年で3度来た確約オファーが3度とも全て流れていた。ベルトが欲しい。もう待てない。最強だろうが何だろうがやってやる。

イバラの道。一筋の光。ドン底から一気に頂点を目指す。

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「死んでもいい覚悟でリングに上がっています。でも、今回は手紙を残しませんでした」

石田順裕はこれまで大事な試合の前には必ず遺書を書き残してきた。パンチによるダメージ、マットに強く頭を打ち付ける衝撃。時にリングでは悲劇が起こりうる。

決死の覚悟で戦う。己の全てを懸けて戦う。

それでも石田順裕は今回遺書は書かなかったと言う。

なぜだろうか。

過去に一度だけ似たような事があった。いや、正確には遺書は書いた。それはカークランドとの決戦前夜の出来事だった。

破格のハードパンチャーとしてKOの山を築いていたスーパーホープとの対戦。この時もオッズでは圧倒的不利とされていた。

石田順裕は倒されるだろう、KOされてしまうだろう。誰もがそう思っていた。そればかりかあるいはその強打によって最悪の事態か。

みんなに向けた感謝の言葉。家族に向けた最後の手紙。遺書。

その時、石田順裕は様々な想いをしたためた遺書を麻衣夫人の目の前でビリビリに破り捨てたという。

ラスベガス背水の陣。劇的な勝利を呼び込んだ。

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「今回オレ、ホンマのホンマ。ホンマの本気出すから。前半勝負をかける。そんでゴロフキンを6ラウンド以内にKOする」

死んでしまうという事は結局ゴロフキンに負けるという事だ。決死の覚悟か。それならば遺書は書かない。負ける覚悟なんていらない。

オレに必要なのは勝つ覚悟だ。それは生きる覚悟だ。遺書の代わりにダルマに書いた、必生の覚悟だ。

感謝はリングで示すんだ。みんなにベルトを見せるんだ。


“必ず生きて帰ってくるから”


絶対新チャンピオンになってやる。それがオレの戦う覚悟だ。


それがオレの全てなんだ。


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