舞台裏WBA世界ミドル級タイトルマッチ② 前日公開計量~侍の夢~ 
(傍でカメラを回したTUG_manのブログより)

$石田順裕オフィシャルブログ 「そんな時もあるやんか」by Ameba


29日。先日から降り続いた雨も止み、霧がかった空の隙間から時おり太陽も顔をのぞかせた。これから公開計量へと向う。

モナコの国土面積は約2㎢と日本の皇居の2倍ほどの広さしかない。

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短い距離の移動の間にも日本庭園やF1で最も有名なコーナー、ローズヘアピンカーブなど観光名所を巡る。

海岸線を走り、急な山道を上がり15分ほど。会場となるカジノ・デ・モンテカルロに到着した。

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このカジノはパリのオペラ座の設計者、シャルル・ガルニエによってデザインされたモナコを代表する建築物だ。

賭け事と言えば少し野蛮なイメージもあるが、モナコではカジノは単なるギャンブルではなく社交界の歴史そのもの。

ここへセレブたちが高級外車で乗り付ける。ランボルギーニ、ベントレー、ロールスロイス。それを記念に写真を撮る観光客も多い。

モナコの中心街、カジノ前は人でごった返していた。

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その光景を巨大ポスターの男2人が見下ろしていた。“ミドル最強の男”ゴロフキンと“戦い続ける男”石田順裕だ。

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辺りを見渡すと街の至る所に試合の看板が立てられていた。

セキュリティーチェックを受けた後カジノ内に入る。だだっ広いカジノフロアを2つ越えた向うに特設ステージが組まれていた。

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会場は世界各国から集まって来たボクシング関係者で埋め尽くされている。

日本からはこの日に合わせてツダジム本石マネージャーと小松後援会長も駆けつけ、元WBC世界スーパーフライ級王者徳山昌守氏の姿も見られた。

ここは特別なゲストを招いた催事のみに使用されるスペシャルルームだ。天井に派手なシャンデリア、壁には装飾が施されている。

その部屋の後方にひと際目立つ人だかりがあった。

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挑戦者石田順裕と王者ゴロフキンの姿だ。

両者ともに試合のレギュレーション説明を受けている所だった。細かくルールを確認した後は使用されるグローブをチェックした。

そうして一通り手続きを済ませると場所を移動させ、今度はプレスインタビューが始まった。

“ニックネームは何ですか?”

海外ボクサーにはよく自身が持つボクシングスタイルを象徴するニックネームが名付けられている。

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「ニックネーム?ん~サムライソール。ソウル。心。魂」

そう言えば石田順裕はこれと決まったニックネームを名乗っていなかった。石田順裕を象徴するもの。ボクシングスタイルとは何か。

それは強いハートにある。日本の侍魂だ。

“今まで戦った中で一番強かったのは誰ですか?”

「今までで一番強敵だったのは…ポール・ウィリアムス」

“その難敵との試合には勝ちましたか?”

ボクシング専門の記者ではないのだろう。結果を知らないようだ。

「ノー、アィムロスト」

いいや負けた。

あの時パニッシャー相手に12ラウンドフルに戦い抜いた。しかし勝てなかった。ウィリアムスだけではない、その後ピログともフルラウンド渡り合い、効かす場面も作ったが勝てなかった。

集計では離されたがラウンド毎で見ればほんのちょっとの差だった。

思い返す事2年半前もそうだ。メキシコでのリゴベルトアルバレス戦。この時は優勢のうちにゴングを聞いた。勝ったと思った。しかし石田の手は上がらなかった。

2-1スプリット判定で敗れ王座から陥落した。

石田順裕は日本で活躍していた頃の華麗なアウトボクシングスタイルからよりファイトするスタイルへと変貌を遂げた。

試合が決まらなかったこの一年も果敢にアタックを仕掛ける実戦さながらのスパーをこなして来た。

“海外のリングは打合いを制する事ができなければ勝てない”

石田順裕は海外のリングで勝利するスタイルの完成を目指した。





つづく