Boxing-Zine 2011.08.01

<アメリカン・ドリームをつかみに>

文・宮田有里子

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石田を話を聞いていると、もっと器用に、うまく世の中を渡っていってもよさそうな気がするのである。
186㎝の長身で、見ての通りの“イケメン”で、元トップアマなのだ。が、自信満々に育ってきたのかと思えば、「めちゃめちゃ弱気でマイナス思考」。

幼少期から格闘技に親しみ大阪・興国高校時代に選抜大会優勝、近畿大学時代に国体準優勝を果たしている。にも拘わらず、卒業後は一度、グローブを吊るした。児童養護施設の指導員として資格取得を目指して勉強しながら働いていた時、高校でボクシングをしているという男子生徒に練習をつけることになったことがきっかけで、社会人選手権(1998年)に出場。勉強と仕事でほとんど練習できないままでリングに上がったが、結果は優勝。しかもかの名選手、今岡紀行を破ってのタイトルである。翌年の全日本選手権では3位。現東洋太平洋ミドル級王者・佐藤幸治の兄・賢治に敗れた。2ラウンドの終わりにボディブローを効かされて判定負け。

「自分に負けちゃうんですよ…プロの5敗もぜんぶ、自分に負けたと思てます。とにかくね、いつも自信がないんです。アマの頃はKO・RSCが多かったけど、プロになったら試合が長いから、スタミナが心配で。だから、パンチ効いたと思ってもラッシュできないんですよ、スタミナが心配やから(苦笑)。めちゃくちゃ怖がりでね…。あ、っでも、だからやたらガードするんですよ。それがよかったんかもしれませんよね、長持ちしてるわけやから」

2007年10月に世界ランクを狙ってハビエル・ママニと戦う前、知人に岡辺トレーナーを紹介され、初めて師事を仰ぐべく渡米した時、私の記憶が正しければ、キャンプ初日、石田はこの目当てのトレーナーと対面できなかった。乗ったことのない路線バスを乗り継いでジムへ行こうと試みたものの、複雑な時刻表を理解できず、なんとか目的地にたどりついた時には練習が終わっていた…そんな苦労話を聞いたように思う。

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しかし、あちこち頭をぶつけたり壁を乗り越えたりしてきた時間や、逆境で得た人の縁が、弱気で怖がりを自認する男を強くしていったに違いない。
「6戦目で東洋を獲った時、けっこうちょろいかな、と思ってたんですよ。こんなに苦労するとはね……。とんでもなかったっですね(苦笑)。カークランド戦は、実は反省だらけで。ばたばたしすぎた。もうちょっと落ち着いていけたらよかった。でも…挫折を味わって、あきらめんと頑張れたんは、誇れるところです。いろんな人に助けてもらってここまできたから。自分一人やったら、とうにやめてたと思います。ノリさんが涙流して喜んでくれたの、ほんまに嬉しかったですね…。西城さんがロスで世界獲った時の話とかしてくれました」


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