ご訪問ありがとうございます!
はじめての方は、「はじめに①」「はじめに②」の記事から読んでいただけるとありがたいです(^O^)/
☆☆☆
私の通っていた大学には、社会人で入学してこられる方や、他の大学や大学院を卒業されてから編入される方が、少数ですがおられました。
それで、うちの学科にも、変わった経歴の方が何人かいて。
別の大学で、ネコの研究してた人とか。
早稲田出てるのに、なぜかこの北海道の、辺鄙な立地の教育大に入りなおしてる人とか。
そういう人って、ストレートに教育大きてる人よりも、やっぱりなんか面白いんですが。
そういう方が共通して言っていたことがあります。
「思ってることをたくさんの人に話すと、それが叶う」ってこと。
話しまくってると、それを実現させるためのヒントや道筋を、ベストなタイミングで誰かが教えに来てくれる、というような。
それを聞いて、「へぇ~。」と思っていて。
自分が「ガラスをやっていきたい」と思ったときに、「私もみんなに話してみよ♪」と決めました。
それで、副専攻でお世話になっていた、金術工芸の先生に、話してみることにしました。
なんでこの方に相談させていただいたかというと。
例えば油彩や日本画の先生、木工の先生なんかには、
「なにこいつ。全然描けねーじゃん。センスねーじゃん。」的な(笑)、
「美術科でもないのに、遊びで来られても困るんですけど。」的な(笑)
扱いを受けていたのですが
(そして全くその通りなのですが(^▽^;))
「こいつおもしれーな。」的に、割と好意的に受け入れてくださった先生も何人かおられて。
それが、視覚デザインの先生や、情報デザインの先生、そしてこの金属工芸の先生だったのです。
で、この金工の先生に話してみたところ
「じゃあ、知り合いの吹きガラス工房の社長に、アポとってあげるよ。」
って、あっさり紹介いただけることになりました。(°∀°)b
しかも‼この工房、私が友達と吹き硝子体験に行った、あの工房だったのです‼
いやぁ、すごい偶然‼(ノ´▽`)ノ
そして数日後、ドキドキしながら向かった面接で。
「なに。やりたいの?あ、そう。うちは、来るもの拒まずだから。(・∀・)」
と言われ、これまたあっさり就職が決まりました。(・∀・)
この面接をしていただいたのが、卒業直前の2月。
そして、私の就活の面接は、この一件だけで終了。
ちーん。こんな簡単でいいのか??(・∀・)
友達からも、
「あめちゃん、ガラス職人になるとか言い出して、『そんなんどうやってなるの??』て正直思ってたけど、なれるもんなんだね。」
と言われ。
そうなんです。もし万一、吹きガラス職人になりたいと思われてる方、おられましたら。
吹きガラス職人って、わりと簡単になれるんです(°∀°)b
求人も結構あります。
でもね、私は断じて!!おすすめしませんよ!!!!ヽ(;´Д`)ノ
ガラスって、透明で、キラキラしていて、美しくて…♡ってイメージ、あるでしょ。
あのね。吹きガラスの仕事ってね。
3Kですよ。
くさい、汚い、きつい!!!
いや、なんだったら、5Kくらいかもしんないです。
くさい、汚い、きつい、健康を害す、給料底辺!!!
まぁ、出来上がったものだけみてたらとうてい想像のつかない世界です。(´Д`;)
もちろん、そうじゃない工房や、個人で窯を持たれている作家さんもおられますが。
私の経験した吹きガラスは、そんなでしたよ。(笑)
いやぁ、もう、何から書けばいいのかって感じですが。
待遇から言えばね、私の入ったところは、この会社の風土として、「技術を盗ませてやってるんだから」というスタンスが一貫してあるんですね。
この会社を興した方々は、生粋の職人さんなので
本当に無給で働くようなところから技術を磨かれた方もおられました。
10代からガラスしかしてません!という方とか。
もうね、私生活投げ打って、家族は後回しにして、とにかくガラスだけに打ち込んでこられたと。
ある意味、高度経済成長期の企業戦士みたいなところがありました。
なので、入社してくるアシスタントにも、同じもの求めてくるわけです。
技術は盗むもの。
上の者の指示は絶対。
休み時間は食事する間も惜しんで練習する。
休みの日も基本練習。
怒鳴るのも愛。物を投げつけるのも愛。
10年働いて、一人前。その前に辞めるものは、根性が足りない。
給料もらえるだけで、ありがたいと思え。
的なWWW
こう書いてみると、この会社自体、お金のブロックありまくりだったんだなぁと思います。
とにかく、一事が万事、「夢のため、技術向上のためなら、何やらされても文句あるわけないよね??」という感じなんですね。
それで、朝早く行って、練習。練習って言っても、誰かが何か教えてくれるわけじゃありませんよ。とにかく、竿で溶けてるガラスを巻き取る練習を、ひたすらやる。
で、仕事中はどんなかっていうと
メインで作ってる職人さんの機嫌ひとつで、それはそれは恐ろしい目に合う。I
オーダー通りの生地(ガラス)を持って行けなかったら、
(柔らかいとか硬いとか、多いとか少ないとか。とにかくいろいろあるんです。もちろん必要なオーダーなのですが。)
このくらいは、も~全然普通。
これも、まぁ日常ですね。(・∀・)
さらに。
高温の硝子の塊が、竿ごと宙を飛ぶ光景。(°∀°)b
これにはほんと、ビビりました。一回顔にかすって、その時はさすがに誤ってもらえました。でも女子じゃなかったらあやまってももらえなかったかも…。
でも、そんなの比較にならないくらにい、私が一番すごいなぁと思ったのは、これですね。
これ、直接その場に居合わせていたわけではないのですが
私が入社する前に、先輩が受けた伝説の仕打ちです。
あと、この先輩は古株職人さんに、「犬!!」って呼ばれてました。
犬て。www
給料10万。
休みは週一あるかどうか。
朝7時から、夜遅いときは12時回ったり。
超体力仕事。(20キロ近いガラスの原料を調合したり、壺に投入したり、その他もろもろ。)
暑い。灼熱地獄。
職場はみんな血液型、B型かAB型という濃さ。(笑)(って、私もBですが('◇')ゞ)
自分が制作できる時間はほぼ皆無な状態。
その上での、こんな職場なもんで。
私の前に働いてた人も、後から入った人も、どんどん辞めて行きました。ヽ(;´ω`)ノ
鬱になって実家に帰った女の子もいました。
入社2週間で辞めた人もいました。
(彼の入社のときにいただいた、萩の月が忘れられません…仙台銘菓。お元気かな…(  ̄- ̄)遠い目。)
で、そういうときにこの会社の人がこぞっていうのは
「あいつも根性がなかった」です。
あと、
「やる気がない」とかね。
10年で一人前。
ねぇ。この環境で、10年持った人って。
逆に普通の精神じゃないと思われWWW
その、ラーメンかぶせられた人は、実は10年を務めあげて独立されたのですが
なんていうか。心臓に毛が生えてるみたいな、超超マイペースな方で。
でも、今振り返っても、あそこで10年…。ラーメン被ってまで…。
もはや、この先輩は超人ですね。人間以上の存在としか思えません。仙人なんじゃあるまいか。
もしまたどこかでお会いすることができたら、そのへんじっくりお話をうかがいたいものです。
そんな感じの凄まじい環境でしたが、意外と私の毎日は充実していました。
今まで何もやりたいことがなかった自分。
なんでもすぐ落ち込んで、自分を責めて、人を責めて、若干鬱みたいだった時期もあった自分。
そんな自分が、初めて自分で自分の人生を決められたことが、本当にうれしかったんです。
母や祖母と離れ、自分だけの部屋を借りられたことも、うれしかった。
お金なんかなくても、全然気になりませんでした。
だいたい使う時間もないし。超辺鄙なところだったので家賃も3万だったし。
そして、私は女子だったことで、さすがに殴られたりはしなかったし
怒鳴られ具合も、2割引きぐらいだったと思います。
私、子どものころから男の子に生まれたかったって思ってたんです。
その理由はたったひとつ。出産ってめっっっっちゃ痛いって聞いたから。(笑)
なんですけど、このとき初めて「自分、女子で良かった~♡」と思いましたね。(笑)
女子ってことで、制作の方でなく、ガラス作品を販売する、売り場の仕事を担当することもあったので
その地獄絵図のような制作現場から、逃げ場があったのも
3年勤務できた所以のような気がします。
いや~。3年でも、自分よく働いたと思う。まじで。10年ってさ、しつこいけど…ほんと、この世の奇跡としか言いようがないですね。あのラーメン先輩は。
と、こんなところで。また気が向いたときに、当時のこと書きたいと思います♪
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