FBではお伝えしたのですが
緊急帰国の理由です。


このタイプの話題は
一切公表する予定はなかったけれど
すごいね、勘のいいエスパーのかたがたから
応援メッセージが届くようになり
相手のかたに了承をもらったので
お伝えすることにしました。


所属事務所に怒られちゃう~♡

(※実際は野良なみの野放しです)


お付き合いしているかたが交通事故にあい
意識不明の重体になりました。


本当なら4月1日~17日まで台湾に
滞在する予定でいました。が。


それが4日の朝に異変があったのです。
いつもならレスポンスの早い彼ですが
なかなか返事が来ないばかりか既読にもならない。

これは何かあったな、と思ったけど
他に連絡を取る術もないし
スマホの故障や紛失かもしれないと
その気持ちを納めて過ごしました。

だってまだ数時間だし。
 
でも翌日になっても状況は変わりません。

人ってすごいもので
もしもの事態が浮かんではいるのに
必死で無かったことにしようと努めます。

たまたま台湾に持ち込んでいた
新品のノートだと思っていたものが
心理学を学んでいたときのノートで
その中から効き目がありそうなワークを試したり
わたしの中の何が不安にさせているのか
セルフカウンセリングしてみたり。

台湾にまで来てなにしてるんだか(笑)


いや、わかりますよ。
いま考えると滑稽なことくらい。

でも他に話せる人もなく
もうほんと気休めにしかならないけれど
それらを試すことで時間を浪費していました。
スマホゲームも大変はかどりましたね。


さらに翌日
やはり状況は変わらず。


絶対なにかあったな。
確信しました。

もし何かあったとしたら
恐らく前の奥さまには連絡がいくはず。
なぜなら高校の同級生どうしなので
知るルートがいくつかあると思ったんです。
そう睨んだわたしはFBで前の奥さまの投稿を
眺めては、日常が綴られる様子に安堵する日々でした。

ですが。
連絡が取れなくなってから6日目。
不穏な投稿がありました。

ああ、やっぱり。


交流がないので不躾なのは重々承知で
メッセージを送りました。

交通事故にあわれたことと
意識がないことを教えていただきました。
入院先などは分からないそうです。


わたしは滞在先のラブを兼ねたホテルを
大急ぎで片付け、パッキングし、フロントに行きました。

(ラブを兼ねたホテル→台湾は奇怪なところです)


ヘルプミー!!と言った後は
今すぐ日本に帰りたい、飛行機を予約してくれ
エブリエアラインエブリエアポートインジャパン
エブリタイムエブリプライスOK!!!

的なことを伝えてみたんだけど
通常時ですら伝わらない英語が
さらにワチャワチャに(笑)

最終的に伝わったのが奇跡です。

手を尽くしてくれましたが
もう待てないから直接空港に行くので
帰ってこなかったらホテルはキャンセル、
でも帰ってきた場合は一泊したい旨を伝えて
タクシーに飛び乗ります。

この時ね、Tシャツを乾燥機にかけてたんです。
分かってたんだけどランドリールームまで
向かう時間が惜しかったので
泣く泣く置いていきました。

そのTシャツがこれ。




台湾でこのTシャツを来てる人を見かけたら
ほくそ笑んでください。

わたしにこのTシャツをプレゼントして
くださったかた、ごめんなさいね。


空港に着いてインフォメーションで
日本に到着する便なら何でもいい。
でも九州ならなおよし。(相手は長崎の人だから)
空席はあるかたずねたところ
松山空港は羽田にしか行かないと言われました。

知らなかった…。
地方空港は桃園空港を使うのか。


そこで教えてもらったエアラインのカウンターで
チケットを購入。
チケットは高いですよ、と念を押された(笑)
なんとも外国っぽいエピソード!

飛行機を待っている間に
翌朝早朝の長崎行きを予約。

そして羽田までの時間
機内のエンタメを楽しむこともなく
斜め前の席のかたが観ている
『君の名は。』をぼーっと眺める。
そうそう、このエンディングの流れの
当てもないのに探す行為をこれからするんだよな。

でもでも!
わたしのほうは「病院」という
キーワードがあるし、相手はどうやったって
動けないからすれ違うことはないもん!!

と、君の名は。のエンディングと
張り合ってみるなど。


羽田に着いて
どうせ翌日の早朝にはもう一度ここに来るのなら
このあたりで泊まろうかと考えたけれど
気温30度の台湾の装備だと
木の棒と布の服と皮の盾で魔王に挑む
ドラクエの勇者のようなので
いちど自宅に帰って荷物を整理。

長崎に行ったところでどのエリアの
どの病院にいるのか分からないから
一週間の滞在に備えました。


まったく眠らないまま長崎に到着。
彼の住んでいる市の名前だけを頼りに
総合病院をひとつひとつ当たっていく計画です。


ひとつめ。
該当者はありませんでした。

そこの病院で、救急搬送される近隣の病院を
いくつかうかがい、その中から勘を頼りに
ふたつめの病院へ。

ここにもいない。そのはずだったのですが
奥からたまたま出てきたスタッフのかたに
患者さんの名前をもう一度、と言われ
お伝えしたところ急に表情が変わりました。

ああ、ここにいるんだ。
関係をたずねられお答えしたら
ロビーで待つように言われました。

あの表情の変わりよう
もしかしたら手遅れだったのかもしれない。
今ごろ体をきれいに拭いてもらってて
そのあと冷たくなった彼と再会するんだな。
いやいやいや、絶対絶対大丈夫!!生きてる!!

このやり取りを心の中で30分間
ひっきりなしに続けました。

そして受付に呼ばれ
電話を手渡されます。

受話器の向こうは彼のお父さんでした。

まだICUにいるので会うことはできないこと
意識は戻ったことを教えていただきました。



意識が戻ったんならよかった。
ようやく気がすみました。

(実際には、会わせてほしいと何度も何度もお願いしたあげくにそれでもダメだと理解して気がすみました、が正解です)

そのまま病院を後にして
空港まで向かいます。

彼がわたしのことを覚えてないかもしれないし
ICUではスマホは持てないはずなので
見るわけもないけれど
一応LINEで病院へ行ったことを告げました。

空港でチケットを購入し
手荷物を預けたところで
電話が鳴りました。

嘘だろ。
彼からです。

おそるおそる出てみたら
ごめんね、と謝られ
そこから普通に会話ができました。


あと30分なら面会できるって言われたけど
今からでは間に合いません。
明日は?とたずねると大きな声で
センセー!明日の面会できるーーー??
ですって。
おかしいな、けっこう元気そうなんだけど。

3日間昏睡状態で
ようやくいろいろ分かってきたところみたい。

翌日ご両親と一緒に面会する算段を取りつけ
カウンターで泣きながら飛行機の日時変更し
病院の近くのホテルを予約し
この日は終わります。


そして迎えた今日。
ご両親とお会いするのも初めてだし
実際のところどんな様子か目にするのも
怖いような気もして緊張です。

2時間前集合しちゃったからね!


そして会ってきました。

薬が効いているせいもあり
ボーッとしているけど
きちんとコミュニケーションは取れていて
禁止されているスマホやアメをねだる際に
先生に良いって言われた、などと
なかなか小賢しい手を使うほど。

今度もうひとつ手術をして
そのうち一般病棟に移され
あとはたぶんリハビリ。

1ヶ月の入院予定だそうです。


ご両親も気を使ってくださり
少ない面会時間のほとんどを
2人で過ごさせていただきました。

ご両親のお話では
昨日と今日は調子がいいようで
それまでがとっても大変だったそうです。

事故があってから今日までのことを
聞いてるだけで涙がこぼれます。

親ってすごいね。
母親ってすごいね。


帰り空港まで送っていただき
わたしのリクエストで
長崎ちゃんぽんをごちそうになり
学生時代のお話を聞かせてもらいました。

今度は皿うどんに連れていってくださるそうです。やったね!

ここまでかなりさらっとダイジェストを
綴りましたが、実際はもっといろいろ、それなりに。

待てのできない犬のようなわたしが
ご両親や前の奧さまのご協力で
やっと安心することができました。


今夜は久しぶりにゆっくり眠れそうです。
とはいえもう朝の4時。
そろそろお休みなさいですね。



長崎みやげは院内シューズ。
ヒールの靴はいてっちゃったからね。
結局つかってないんだけど。