ナレーターは
人様が作った原稿を
読み上げるのがお仕事です。


こんばんは、野引香里です。



わたしね、スゴイ大発見をしました。


心屋マスターコースという
心理カウンセラーのスクールに通った関係上
カウンセラーさんのブログに触れる機会が
多々あります。


安心して任せられそうなかたと
そうでないかた

その違いに気がつきました。


ノーベル心屋文学研究賞ものです!


かなり大きく出てみました。



まずはわたしの仕事でご説明しますね。
ナレーターの仕事を知っていただきたいのです。


男性用化粧品の
CMナレーションの仕事だとします。

もちろんわたしは使用しないので
商品自体にはさほど興味はそそられません。

でも、この商品の購買層のことや
クライアントさんが押し出したいポイント
ディレクターさんの作った映像の意図やら
それを理解したりイメージしたりしながら
書かれた原稿を書かれたとおりに
でも、自分の言葉としてナレーションを入れます。





次の例えは俳優さん編ですどうぞ。


上手い俳優さんと
そうでない俳優さんの違いって
なんだと思いますか?

これはわたしが思ったことなんですけどね
セリフや仕草や動きを
自分のものにしているかたが
素敵な芝居をされているかただと感じます。


相手をジッと見据えるシーン。
実際にはカメラを見据えていますよね。



歩きながら喋っていてふと立ち止まるシーン。
歩いているのも立ち止まったのにも
 その役柄の意図が必要です。
 しかもカメラ位置を気にしながら。


段取りすら自分のものにしなければ
その役柄でることができないんです。



心屋でよくいう
在りかたここにも生きているなぁと感じます。
※擬似的ですが




さて、ここから本題です。



カウンセラーブログで
安心できそうな人とできなさそうな人の違いに移りますよ
 
わたしね、読みながら書き手のことを
無意識に探っているんです。
なにこの職業病!



安心できる人って
ブレてないですよね。

カウンセラーまっしぐら!
わたしこれで行きます!
という意味ではなく

元気なときも
弱っているときも
怒っているときも
悲しんでいるときも
その人としてしっかり存在されています。

これを人は
軸があるとか、自信があるとか
勝手に印象づけます。



一方そうでないかたの場合
ブレが伝わります。


自信がなくなったり
迷ったり
そんなことはよくあります。

相田みつをさんも言いました。
人間だもの。


そこではなく
うーん、なんて言うのかなぁ。


ちょっと心理学的に
ためになる記事のところで思うんだけど

それ、自分の言葉じゃないよね?

って感じるんだよね。
言葉をものにしてない感じがする。
(もちろんものにしてなくてもいいのです)


心理学の言い回しなんて
語り尽くされているでしょうから
表現が重なることもあるでしょう。

でも、ぬぐえない違和感。


どうしてどうして
カウンセリングやイベント告知の時だけ
いいこと言おうとしちゃうんだろう。
諭すような物言いしちゃうんだろう。


ギャップですって?
おだまりなさい。
チグハグ感が否めません。


その微差に
その人柄と文章の乖離に
言い得ぬ不安を感じてしまうのかな
ノーベル心屋文学研究賞受賞予定
わたしは思うのです。



つまり。

すべて。


在りかたなんだな。
※みつを風



で、これを書いてるわたしは
大丈夫なのだろうか…。


まぁ自分のことは
一番わからないからね。


という逃げ道を作って締めくくる。






仕事してますアピールだよ