アヒンサー。
手塚治虫さんの漫画ブッダを手放したのですが、、
アヒンサーという方を忘れられません。
、、、
アヒンサーは、
バラモンに催眠をかけられて
人を殺めるようになり、
盗賊になってしまいます。
そんな背景があったので、
もちろんブッダは嫌いです
ブッダをくくりつけて痛めつけたりしていたほどです。
そんなこんなで何回かブッダと会い、
最終巻にも出てきます
地割れ(?)に飲み込まれたアヒンサーが出てきますが
最後にブッダは、助けるためにお声がけします。人生やり直そう、と。
そんな中アヒンサーは、
「俺は何人も殺している、救われることはない」
といいます
ブッダは、いいます。
「何人も殺した、と言ったが、赤ん坊は殺さなかっただろう(略)。その赤ん坊は生きていたから、そのあと子を作り、何代も繁栄し、『今繁栄しているのは、あの時、彼が生かしてくれたからだ』と感謝されるに違いない」
そのあと、アヒンサーは、人を殺したとしてもやり直せると確信して、ブッダの弟子になると、志願しました(後に、酸素が薄くなったので、絶命。)
なので、
過度に罪悪感をもったり、
自分を痛め付けたり、
そういったことをせずに
やり直せるという確信を持って
いきたいですね
まずは、自分の気持ちから。
ほかの学びとして
・痛めつけられても、洗いざらい話してくださいと言えるブッダの気持ち
(痛めつけられた相手にそんなことする気もならないだろう。今の私にできるだろうか、、)
・盗賊を助けるために軍に応援要請をするブッダの気持ち(普通しないだらうし、軍にもおかしいといわれるのでは?今の私にできるだろうか、、)
・最後まで諦めずに声をかける気持ち
(同上)
、、、なんて常識で考えてしまい、人を救おうというブッダの深い気持ちに脱帽です
仏は旧漢字で佛であり、
お寺でよく見かけます。
人が沸き出る、そんな漢字なんですね、仏。
勇者ヨシヒコで出てくる、佐藤二郎さんを思い出してしまいます。
※ちなみに私は、仏教を広めたいわけではありません
ps
・普段何気なく生きているが、先祖のだれかを生かしてくれた場面があったかもしれないので、生かしてくれた方に感謝しようと思います。
もはや自分だけで生きてるだけではありませんね。