昨日は、6月に予定している地域と福祉を結ぶイベントの中で
同じ区内で活動する3人の防災士さんにきていただいて、
勉強会を行った。
*自分達の町がどのような状況なのか?(災害時の危険ランキング)
*災害の現地などを視察してきたお話
*「公助」はほとんどあてに出来ないので、どのようにみんなで「共助」の部分を育てていくか?
*水や食料も大事だが、「トイレ」の問題も大事。
ライフラインが途絶えた時、避難所のトイレはどうなる?(公では単に、使用禁止にされてしまう・・)
災害から助かっても、「トイレ」に殺される!と言う現実もあるほど、まさに「トイレの逆襲」
- 阪神・淡路大震災と新潟県中越大震災の教訓 トイレが大変!―災害時にトイレ権をどう保障するか/山下 亨
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「いつか」来る災害ではなく「いつも」来るという発想を持って日々の暮らしを見つめていかなければ!という
と言う話で、
大変参考になり、催し物をつくっていく参加団体、スタッフのみんなの共通認識が高まりました。
ところで
この時期に「お祭だって!!」と
思う方々もいらっしゃいますが
障害を持つ人たちと、そうでない人たち、イロイロな分野の人たちが一緒になって創り上げる催し物は、
なかなかありません。
簡単に中止してしまえば、
これまでに出来た地域のネットワークも切れてしまいます。
今回は特に、以前から「防災と障害者」をテーマに取り組もうと準備していたところに、
災害が起きて現実の問題になってしまった経緯もあって、
絶対に中止にはしたくないのです。
復興が叫ばれていますが、
ココロの傷は結局時間でしか解決できない時もあると思います。
この、1ヶ月自分自身も「パペット」を封印してきました。
なんとなく、つくっている場合じゃないだろ・・・
と言う内なる声もあって。
先日、リファッション関係の方から、リサイクル用の余った布地や素材をいただきました。
被災地に送る、ペットボトル用の湯たんぽカバーをつくっているのだとか。
私が出来る事と言ったら・・・。
やっぱりパペットをつくる事しか出来ないので。
そのカバーと一緒に、出来たら気休め用にパペットも入れてもらおうかな?
スポンジだと長持ちはしないので、布で作って・・・。
一番簡単な方法で、
みんなにもつくってもらおうか??とも考えています。
型紙も公開しようかな・・・・。
久々に
悪夢を見ました。
先日みんなと話をしていて、
さすがに、試験や遅刻する夢はみなくなったねえ~
なんて、話していたところですが、
劇団に入ると、
なぜか、
何にも練習していないものを
突然やらなければならない状況の夢
を
よく見るようになりました。
昨日も
上演をするとき、
人形や内容が突然変っていて、
それをやらなければならない・・・・
休憩時間になって
「もう、やだやだ!!」
と叫んだところで目が覚めました。
舞台に出るということは
やはり、相当ストレスというか、
ココロの負担があるのでしょうね
まして、
わけわからずやるってことの
恐怖がどれだけのものか??
だからと言うわけではありませんが
基本的に、子ども達は学生など、
素人さんの時は特に、
「やりたくない」と言う人には無理して出さないようにしていますが・・・。
なかなかブログを書く気にはなりません。
仕事柄、「あそびゴコロ」が重要な物なので
こんな状況の中で
不安を飛ばすぐらいのパワーは
まだまだもてません。修行が足りないか・・・。
自分の中でジタバタし、
その中に向き合っていく時期かとも思っています。
もちろん粛々とやるべき仕事は、
精一杯行うとして・・・。
自分の中の精神が
アマチュアである為、
本当にやろう!という気にならないと、
進めません。
3.11を期に
ナニが本当に伝える力があるのか?
神経がとても研ぎ澄まされるような気分です。
ラジオから流れる、「アンパンマン」の歌が、
あんなに勇気と力を湧かせるものだったなんて・・・。
実は連日深夜までいろいろ忙しいです。
仕事関係が2個
地域活動系が2個、
自分のライフワーク的なことが2個あって、
連日それが絡み合いながら、怒涛の日々。
でもおかげさまで、一つ一つどうにかクリアして、
手ごたえ充分というより、十二分!!
コレを幸せといわずになんと言おうか?という状況です。
それに比例して、収入も!!
というわけではありませんが、自由業にとっては、
まず自分のネットワークを拡げて強固にしていくことが
どんなに財産になるか!!
ということだと思います。
そして、自分のできないことを
他に人にやってもらえる関係(お金の関係だけでなく)が
どんなに重要なのか
身にしみて感じています。
感謝と
ありがとうしかありません。
十年前、
すべてがむなしく感じていた時があったからこその
思いかも知れませんが。
人生波あり谷ありですね。
夢は10年後、20年後にかなえられていくものです。
今日は防災関係のイベントに参加してきました。
6年前の地震で、被災された村の当時村長だった方の貴重なお話を聞きました。
地震があったとき、村長はどのような行動をとったのか?
ヘリポートのしるしを校庭に書くとき、丸にHのマークとは知らずに、
丸に×のデベソマークを描いたこと、
避難所を回っていて、
村民に連絡帖にいろいろ記入してもらったこと、
「頑張れ」とか「我慢しろ」と言ったつもりはなかったけれど、
先のビジョンを知らせない状況で、村民が苦しくて、
「ビジョンを早く示せ!馬鹿村長」とかかれたこと、
子どもたちに現場を見せるかどうか、迷ったこと
などなど
みんなのために必死で奔走して、半年間1日も家に帰れなかったこと、でも無我で頑張ったことで、
逆にみんなに助けられたこと、奥さんに惚れ直されたことなどなど
大人として、必死で
自分たちの村をもう一度立ち上げていこうとしてきた人たちのナマの話を聞くことができて、
心にしみました。