(カバー写真は「のびパパ軽井沢日記#180」で引用した「NEWSポストセブン」による落合陽一氏のインタビュー記事( *1)のものです)
〈のびパパは、好き嫌いを語れるほど同氏を知らない。著作を1冊しか読んだ記憶がないのだ。しかも、いつのことだったのか、小説だったのかルポタージュだったのかも覚えていない。
だが、石油に関連したことが書かれている個所で「知ったかぶりして書いている」とマイナス評価を下した記憶がある。
そもそも落合信彦氏は、いったいどんな石油の「仕事」をして来たのだろうか?〉
と「のびパパ軽井沢日記(笹塚編)#180 落合信彦氏:どんな石油ビジネスを経験したのだろうか?」(*2)で書いた。
その上で
〈落合氏の訃報に接して、果たしてこのままでいいのだろうか、と思った。ご子息が語るように「毀誉褒貶」の激しい人だったとすれば、人々を熱狂させる何かがあるはずだ。
それが何なのか。
同氏の国際ジャーナリストとしての背景には、若いころの石油ビジネス経験があるとされている。
エネルギーアナリストとしてののびパパが、知らずにいて良いことではないだろう。やはり読み返して、なぜ「知ったかぶりをしている」とのマイナス評価をしたのか、検証してみるべきだろう。〉
〈だが、いつ、何を読んだのだろうか?
まったく手がかりがない。
仕方なく渋谷図書館の所蔵作品をチェックし、取り急ぎ『石油戦争』(集英社文庫、昭和59年10月)を借り出して読んで見た。〉と。
このような前振りの後に『石油戦争』の読後感を「本書を読む限り「知ったかぶりして書いている」との印象を受ける記載はない」と書いたのが「軽井沢日記#180」である。
ところが、である。
1冊だけ読んで、マイナス評価を下した件の著作を発見した。
背景を説明しておこう。
筆者は1996年、47歳の誕生日を迎える年の正月から「10年日記」を書き始めた。
当時、筆者が勤務していた三井物産では「57歳」が「旧定年」とされており、現実にはもう少し長く社員でいられるのだが、多くの人が57歳になる前に子会社に出向したり、他に職を得て退職していくのが実態だった。
ならば「旧定年」までの10年間、どんな歩みをするのかの記録を残しておこうと書き始めたのだ。
時は巡り、今では4冊目の「10年日記」を書いている。
毎朝の体重と、その日の重大ニュース(if any)以外にも、個人的に何をしたか、誰と会ったか、何を食べたのかなどの「事実」だけを一日4行で記している。よくある感情のはけ口にしてしまうと、後に読み返して悔恨の念に囚われること必定だからだ。
これが「10年日記」を書き続けるためのコツだろう。
実は「10年日記」にはもう一つの利点がある。
筆者は巻末に、いつ、何を読んだかを書き残しているのだ。ある種の読書歴リストである。
そのことを思い出し、落合信彦のどんな作品を、いつ読んだのかをチェックしてみた。
すると、発見したのである。
2006年から2015年までを対象とした2冊目の「10年日記」にあった。
2014年の90冊目として10月3日、『ただ栄光のためでなく』(以下、落合本)を読んだとある。読後の評価として「〇」印が付いている。
ちなみに筆者の評価は「◎お薦め ○読んでもいい △読まなくてもいい ×読まない方がいい」の4種類である。だから落合本は「読んでもいい」との評価だったというわけだ。
前後には『石坂周造研究』『21世紀のサウジアラビア』『アラビア太郎と日の丸原油』『現代日本産業発達史Ⅱ石油』や秋丸機関の『英米合作経済抗戦力調査』などがあり、2冊目の著作『日本軍はなぜ満洲大油田を発見できなかったのか』(文藝駿書、2016年1月)を書くための勉強をしていたことが分かる。
(ちなみに2014年は1年間に120冊も読んでいた!)
念のために「10年日記」の「2014年10月3日」の項を読んで見たら、初の単行本『石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか』(文春新書、2014年9月)出版直後だったこともあり、次のように記載されていた。なお落合本の読後感はいっさい記されていない。
〈68.10㎏ ○7:50起床、8:30朝食(鶏牛蒡飯、ゴーヤチャンプル、肉じゃがなど)〇文藝春秋社に出向き、11:30「日経オンライン」14:00「JBPress」の取材。昼は担当編集者に「登龍」で担々麺をご馳走になる。17:00帰宅 〇「日経オンライン」から連載の依頼あり、まずは月1回 〇24:00就寝〉
さて『ただ栄光のためでなく』(集英社、1983年12月)である。
再読してみた。
一言で言えば「劇画」だ。
ストーリーが単純で、展開が早く、はらはらどきどきさせられる個所が満載だ。漫画やアニメのつもりで読むならば、それなりの効能があるのだろう。
だが、舞台として使用している石油については「知ったかぶりして書いている」としか言いようがない。まさに問題個所満載である。
問題個所をいくつか挙げれば次のようになる。
落合信彦は石油開発なるものが「探鉱」「開発」「生産」との3段階からなっていることを知らない。
米第六艦隊がOPEC禁輸により活動停止に追い込まれるなど、石油販売に伴う「実務」をやったことがないことがもろばれである。
さらにエクアドルに関する「事実」にも大いなる誤認がある。
・・・
分かりやすい個所から始めよう。
主人公サエキが石油開発事業で最初の成功を勝ち得たとするエクアドルについてだ。
サエキがボスと一緒にエクアドル政府の鉱物資源省を訪れた際のことを次のように記載している。
〈行きはタクシーを使ったが、資源省がホテルのすぐそばとわかって帰りは歩いた。しかし、この街が赤道直下にあると言う事を忘れていた。
まるで地獄の熱さだった。二人共、体中から汗がふき出していた。〉
違和感がぬぐえなかった。
筆者もニューヨーク在勤中にエクアドルの首都キトーに出張したことがある。確かに「赤道直下」にある街だが高度が高いため、暑さは問題ではなく、すぐに息切れした記憶がある。
念のため「グーグルAI」をチェックしたところ、次のように記載されていた。
〈エクアドル首都キト(筆者註:原文ママ)は、赤道直下(緯度約0度)にありながら、標高約2,850mのアンデス山脈中腹に位置するため、年間平均気温が約14度の「永遠の春」と呼ばれる冷涼で快適な高山気候です。日中は暖かく、朝晩は冷え込み、6月から8月が比較的安定した乾季、それ以外は降水量が多い時期となります。〉
〈キトは標高が高い(約2,850m)ため、初めて訪れる際は高山病(ソローチェ)に注意が必要です。〉
筆者の記憶が正しかった。
落合本の記載は事実誤認である。
集英社では「小説」はフィクションだから「校閲」不要と判断しているのだろうか?
次に主人公サエキが働いていた「プログレス・オイル」社には、次の5つの部門があるとしているところだ。すなわち同社には、開発、調査、販売、経理、総務部門の5つがある、と。
石油開発業務に関与したことがある人なら誰もが首を傾げる個所だ。技術部門を持たない石油開発会社があるのだろうか、と。
石油開発事業の第一歩は技術データの調査、分析から始まる。探鉱作業の一環としてである。どこに油田、ガス田がありそうなのかを探すためである。
油田、ガス田が見つかった後、如何に経済的に、効率的に開発できるかを検討する作業が始まる。開発計画の一環として、必要な施設の建造発注、資機材の手当、作業人員の確保などの作業が始まる。スケジュール管理も重要な業務だ。
その上で現実の生産活動が始まる。
・・・
このように石油開発事業において、核をなしているのは技術、技術人材なのである。
したがって、これらの技術人材が会社の中核を占めるものなのだ。
落合本は、探鉱作業の第一歩である技術データの収集、分析などを調査部がこれらの業務を行っているとしている。
調査部とは、本来的にマクロ経済や社会政治状況、あるいは業界動向などを定点的に調査、分析し、経営幹部の判断材料として報告する部署だ。石油開発に必須の技術情報・データの収集・調査・分析とはまったく異なる業務なのである。
たとえば手元にある『三井石油開発25年史 石油を求めて 限りなき挑戦』と題された、筆者が所属していた会社の社史(1994年発行)によると、1969年会社創立直後の組織は次の3部門となっている。
総務部
業務部
技術部
そして創立5年目、オイルショック後の1974年に技術部の中に次の5課が置かれたとある。
計画課
地質課
物探課
開発課
生産課
三井石油開発はいわゆるノンオペレーター事業を中心に活動してきた会社だ。それでも石油開発会社としては、これだけの専門知識を持った技術陣を抱える必要があるのだ、
落合本にあるような組織では、石油開発会社の体をなしていないのである。
ちなみに落合本には「下請け開発」なる言葉が出て来る。「自社開発」の対義語だ。
だが「下請け開発」とは、ほんらい油田サービス企業が行うもので、日本の多くの石油開発企業同様「三井石油開発」が行っていた「ノンオペレーター事業」とは全く異なるものだ。
「自社開発」はいわば「オペレーター事業」のことだろう。
「下請け開発」を行う油田サービス企業はプロジェクトのリスク&アカウントを持たないが、オペレーターもノンオペレーターも所有利権比率に基づくリスク&アカウントを負担する。これは大きな違いだ。
また、オペレーター及びノンオペレーター企業(複数の場合も多い)間で共同操業協定(ジョイント・オペレーティング・アグリーメント)を締結し、オペレーター(最大権益保持者が鳴ることが多い)が操業の計画・予算を策定して実行する。ノンオペレーターはオペレーターが作成する操業に関する計画・予算に対して賛否を唱える権利がある。そのためにも技術陣が必要なのだ。
落合本は、「下請け開発」と「ノンオペレーター事業」の違いも理解していないようだ。
そして小説の中核をなすテーマ、すなわちOPEC禁輸により米第六艦隊が活動不能に陥るとしている点についてである。
米大統領から直接命令を受けて、学生時代(UCLA)の友人サエキに緊急での原油供給を頼みに来た米陸軍大佐マイク・ケインが次のように説明している個所だ。
〈「世界中のアメリカ軍基地が油を切らしつつあるんだ。特に地中海艦隊は深刻だ。パレルモもナポリにある備蓄タンクは空っぽに近い。あと十日もしないうちに空母も戦艦も飛行機もすべて動けなくなってしまう。」〉
〈「このまま行ったらわが国だけでなく西側全部が崩壊する可能性が十分にある…」〉
筆者は思わず苦笑してしまった。
石油実務に少しでも携わった人なら、こんなことが起こることはありえないとすぐに分かるはずだからだ。
米第六艦隊が使用しているのは重油であり、軽油であり、航空機用ジェット燃料だ。これらは製油所で原油を精製して得られる石油製品である。
製油所では、少なくとも年次計画で原油の搬入量、精製量、石油製品ごとの生産量と、それぞれの製品の出荷計画を策定する。それを基に短期の、たとえば向こう1か月の計画を策定するのだ。
したがって、どんな石油製品であっても在庫(備蓄ではない)が「空っぽに近い」水準にまで落ち込んでいるような事態には陥らない。もしそんなことになっている場合は、米軍だけでなく、世界中の石油業界、いや石油を使用しているあらゆる産業界が大騒ぎになっているはずなのである。
落合本では、本件は大統領以下政府要人しか知らない極秘情報だとしている。そんなことはありえない。
しかも、米国やオランダなど、複数の国へのOPEC禁輸も始まったばかりの段階だ。経験のない事態に将来動向の予測を巡って大騒ぎにはなっていたが、現実に原油・石油の流通が滞っていた訳ではない。
そのような状態の中で在庫が「空っぽに近い」水準に落ち込んだとすれば、それh当該製油所の経営管理の問題である。
仮にとある製油所が「経営管理」の問題に遭遇しているとしても、世界各地の米軍基地に石油製品を供給している製油所は多岐多彩だ。それがすべて、同時に、保有在庫が「空っぽに近い」状態になる、全ての製油所が経営管理の問題に遭遇するはずはないのだ。しかも「極秘裏」に!
さらに「禁輸」措置を取られているとしても、ある特定の製品、あるいは特定の流通経路だけが止まってしまうことはありえない。これはウクライナ戦争開始後のロシア産原油・石油製品の流通実態を見れば明らかだろう。
確かに欧州側の政策によって欧州向け供給は止まったが、ロシア産の原油及び石油製品は経済性を犠牲にして遠隔地、インドや中国へ流れて行っているのだ。
つまり、この「劇画」の中核をなす、OPEC禁輸により米第六艦隊が活動不能になる可能性があるという前提そのものが、実は荒唐無稽の妄想以外の何ものでもないのである。
まだまだある。
「プログレス・オイル」社が最初の成功を見たエクアドルでの操業について、次のような記載がある。
〈現在ポルトビエホの油田からグアヤキル港まで五十台のタンク・ローリーで油を運んでいる。一台が一日に二往復というピストン輸送だ〉
当時のタンク・ローリーは10㌧積みが最大だったから、計算上、最多で1日に1000㌧運んでいたことになる。おおよそ日量7300バレルに相当する。
「BP統計集」によるとエクアドルの生産量と消費量は次のように推移していた(単位:千BD)。
生産量 消費量
1965年 8 13
66年 7 14
67年 6 15
68年 5 18
69年 4 19
70年 4 22
71年 4 24
72年 78 25
73年 209 27
74年 177 31
落合本の当該箇所の舞台は1960年代後半だ。
データを見る限り、国内消費量の方が生産量より多かった時期だ。この段階で輸出するために「港まで輸送する」ということはありえず、当該記載も嘘八百である。
では、石油関連記載については嘘八百のオンパレードである落合本がどのような評価を受けているのだろうか。書評サイトに記載されているものをいくつか読んで見た。
するとほとんどの読者が、本書で「石油開発」が何たるものかを知ったと記述しているのだ。
いやはや、である。
落合本は、少なくとも石油関連の個所は嘘八百だと認識する必要がある。
筆者が見るに、落合本最大の「害悪」は多くの読者が石油開発はギャンブルであるとの認識を持ってしまうことだ。ギャンブラー・サエキを主人公に置いているくらいだからだ。
確かに石油開発は当たるか否か、掘ってみなければわからないというギャンブル的要素はある。
だが、膨大の投資を要する石油開発事業も、当初の「運」頼りから日進月歩の進化を遂げて来ている。
たとえばその昔、石油の時代が始まったばかりのアメリカでは、成功した地域の近くで掘削すると成功確率が上がるとして「ものさし地質学」と呼ばれた手法もあった。成功したA地点とB地点を「ものさし」で線を引き、その線上を掘れば成功すると確信して掘る手法である。
地層が地下で繋がっている可能性が高いことを考えれば、それなりの合理性のある考え方ではある。
日本が初のジャパンフラッグの石油開発に成功した北樺太石油(1926~1944年)では、ロシア勢は日本が掘削して成功すると、その隣接地で掘削を行っていた。これも「ものさし地政学」的手法だと言えるだろう。
落合本で伝説的石油開発の神として描かれている地質屋ニーダーマン、“ハンス・ザ・スメラ―”と呼ばれた男の手法は、端的に言えば「地表地質学」と呼ばれるものだ。
石油王・美術収集家として名を馳せたジャン・ポール・ゲティ(1892~1976)がサウジとクウエートの中立地帯で利権を獲得した際に、配下の地質屋が飛行機の上から地表を見て「背斜構造」があることを確信したのも同じことである。
ちなみにゲティの成功は1949年のことだった。
わが国の山下太郎・アラビア石油が同地で利権を獲得した1958年には、すでに地震探鉱に基づく地質データを分析して最終判断をしていた。
地震探鉱とは、ダイナマイトやエアガンを使って人工的に地震波(振動)を起こさせ、反射・屈折して戻って来た波動を地表で観測し、膨大なデータを分析することで地下の構造や地質を調査する物理探査法である。
当時、このようにして地震探鉱により取得した地質データの解析には、多大の労力と時間とが必要だった。
日進月歩の一例を紹介しておこう。
1986年の逆オイルショック後、長期の油価低迷の中、大手石油会社はコスト削減を懸命に進めた。
その一つがコンピューター技術の導入だった。
当時、BPに勤めていた友人は、コンピューター技術によりそれまで2年かかっていた量の地質データ解析が半年で出来るようになった、と言っていた。時間もコストも4分1になったのである。
少々専門的になったが、石油開発とはまさに技術力の勝負なのである。
多くの大手国際石油会社のCEOが、大学で技術を学び入社、技術部門で働いた後見込まれてMBA(経営学修士)取得に派遣され、その後全社的経営ラダーを駆け上って就任している事実がこれを物語っていると言えよう。
わが国の二大石油開発会社は代々役所OBをCEOに据えているが、期待されている役割が違うのだろうか。
落合本は劇画である。
そのつもりでお読みになることには反対しない。
だが、落合本を読んで石油の真実を知った、と誤解しないで欲しい。
知ったかぶりして書いているだけだからだ。
もし本ブログを読んでご興味を持たれた(が未読の)方は、ぜひ弊著『石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか?』(*2)および『日本軍はなぜ満洲大油田を発見できなかったのか』(*3)をお読みいただきたい。
落合本をより楽しく、正しい理解が得られると思いますよ。
*1 【インタビュー】落合陽一氏が明かす「父・落合信彦」が“最後まで言っていたこと”「読者が世界中からちゃんと父を見送ってくれてる」|NEWSポストセブン
*2 のびパパ軽井沢日記(笹塚編)#180 落合信彦氏:どんな石油ビジネスを経験してきたのだろうか? | のびパパ軽井沢日記
*3 Amazon.co.jp: 石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか? エネルギー情報学入門 (文春新書 991) : 岩瀬 昇: 本
*4 日本軍はなぜ満洲大油田を発見できなかったのか (文春新書 1060) | 岩瀬 昇 |本 | 通販 | Amazon
