子供距人解散後、益山貴司、益山寛司兄弟、そして女優高田静流が立ち上げた新いカンパニー「焚きびび」による初陣舞台、原宿の日常雑貨(キッチン用品やインテリア、フレグランス、Tシャツやカゴバックなどなど)をあつかっているJINNNAN HOUSEの地下フロアーを使って上演された「溶けたアイスのひとしずくの中にだって踊る私はいる」の初日を観劇。

 

******** 演劇サイト より *********

かつて私たちが何者だったかを語るとき、
私たちはどこの世界に、どこの時間に、どこの誰に思いを馳せるのか
そう、溶けたアイスのひとしずくの中にだって踊る私はいる

一人の若い女が語り出す「かつての自分」。恋人との生活を楽しむ私、水の中の一匹の魚としての私、ケーキ皿に残された齧られたイチゴとしての私──
彼女が語る登場人物がまた新たにかつての自分の登場人物生み出し、連鎖していきながら、モザイク画のように「彼女の世界」が立ち上がっていく。果たして彼女が語るのは現実なのか妄想なのか───

<作・演出 益山貴司より>
「もう一度、焚き火を起こす」
劇団をやめて3年、最後にオリジナルの戯曲を書いて上演してから5年。
そろそろ、体が冷えてきたので、劇団という焚き火をもう一度、起こすことにしました。
まずは弟の寛司と女優・高田静流の3人で火を熾します。ぜひ、僕らの焚き火にあたりに来てください。

旗揚げ公演は、「かつての自分」について語るお話です。
それは、過去と一直線に結びついた、例えば、「私は昔、子供だった」というようなものでもあり、例えば、本作のモティーフの一つである複式夢幻能のように、草刈り男が実は平敦盛だったようなものでもあり、例えば、見知らぬ廃屋に巡り合って、かつて私はそこに住んでいたかもしれないと感じるあの感覚でもあり、いわば、マルチバースのように、「かつての自分」が増殖していくような、そんな、「自分への解像度を下げる」物語です。
主人公の女性は、他者との「分かり合えなさ」に行きあたりますが、それはつまり、「私はあなたじゃない」からであって、本作では、そんな状況に「だからこそ、私、無限大」と腹をくくれるような、あるいは首をくくるような、楽観と絶望が入り混じった物語を書きたいと思います。

 

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地下一階のdiggin studioは今回のようなイベントスペース、そしてギャラリーとして活用されているスペースとのこと。

 

そこに、今回のお話に合わせたキッチュなセットが組まれ、今回の作品のきっかけとなった時間を超えて、世代を繋いだ”あるモノ”も置かれているらしい。

 

かつての多感な時期の自分が、周りの人々の人生を見つめることで殻を破り大人の階段に踏み出す瞬間をファンタジーに描いている。

 

この人生の歩みは今でも続いていて、たとえば益山氏にとって劇団解散からの創作欲求にかられてのこの再出発も、かつて得たものからの蓄積を踏まえての、また一つの殻破りなのかもしれない。

 

時間は確実に進んでいて、作品にもその時間の流れが染み込んでいる—作品のテイストに—ように思った。

 

高田静流とBEBE(台湾出身の俳優・モデルさん)の女優二人が目が離せなくなるほど魅力的。

 

多国籍で、そして兄弟、、というキャスティングもGOOD。