文学座の「オセロー」を新宿紀伊國屋サザンシアターで観た。演出は先ごろ文学座の代表となった鵜山仁。

 

****** 演劇サイト より **********

ヴェニス公国に仕える将軍・オセロー(横田栄司)は、元老院議員・ブラバンショー(高橋ひろし)の娘・デズデモーナ(sara)と愛し合い、ブラバンショーの反対を押し切り、結婚をする。一方、オセローの忠臣であるイアーゴー(浅野雅博)は自分ではなく、キャシオー(上川路啓志)が副官に任命され、オセローへ恨みを持っていた。憎悪と嫉妬を抱くイアーゴ―の巧妙な策略により、物語が複雑に絡み合い、オセローとデズデモーナは破滅へと追い込まれていく…。

 

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体調・心身の不調により2年近く表舞台から遠のき、療養を続けてきたという横田氏の復帰舞台である。

 

毎日新聞の記事(2024/06/27)によると、

 

”2022年9月、出演が決まっていた舞台「欲望という名の電車」を心身の不調のため降板した。「俳優をやめよう」と求人広告を眺める日々を送っていたところ、劇団の先輩、鵜山から声をかけられた。「オセローやりませんか?」と。”

 

” 「自信もないし、せりふの覚え方も忘れたので無理です」。そう断ったところ、鵜山は「もうちょっと考えてみて。別の作品でもいいし、何なら土壇場で降板しちゃってもいいから」と結論を先延ばしにしてくれた。”

 

と、大変な思いの中で周りの人々に支えられたことに報いるため、出演を決心したのだと言う。

 

そう、これは演劇ラバーズたちが「横田さん、ようこそ舞台にお帰りなさい!」と言う意味が大きい舞台(そんなものがあってもよいし、それが生身の人間が演じる演劇なのだろう)。

横田栄司のずば抜けたスター性、豪快さ、舞台での人間らしいリアルな存在感を観るため、そんな役者が舞台に戻ってきてくれたことをみんなで喜ぶための舞台となったように感じた。

 

一方で、今回のオセロー将軍はこれまでの常套手段とされてきた老年の皆から尊敬されている優れた軍将であり、その出自(ムーア)ゆえにあまり自分を押し出さないどちらかと言えば普段は物静かなオセローといったキャラクターからはかなり逸脱していると感じた。

横田のオセローは自らの軍人としての優れた経歴から自信に溢れ、上に立つものとして堂々としていて、それは若い新妻デズデモーナ(sara)に対する態度にも表れる。

(年甲斐もなく—これは余計なお世話だが。。)人目も気にせず、若くて綺麗な妻を抱擁、熱いキスをする。

自分が嫉妬から常軌を逸していく際も、その妬みの思いを思い切り発散させ暴れ回る。

そんなあけっぴろげで直情型のオセローは想定外で、ちょっと驚いた。

 

だが、思い返せば想定内ではない「オセロー」は今回が初めてではない。

2009年のウィーン芸術週間で上演されたアメリカ人演出家ピーター・セラーズ演出のオセローもいろいろな意味で目から鱗の新しい解釈のオセローだった。↓(シアターガイド10月号(2009年)のレビュー記事)

ここでは設定も現代、特にフィリップ・シーモア・ホフマンの内向的でコソコソと策略を練る、ずる賢いいイアーゴがそれまでに想像したこともないキャラだった。

横田のオセローと言い、セラーズ演出のイアーゴと言い、思い込みというのは怖いものだ(了見をせばめてしまう)。

 

 

 

様々な読み方ができるのがシェイクスピア戯曲の魅力で、それだからこそどの時代になっても色褪せないのだから。

 

今回、ミュージカルの外部出演などがあるものの文学座の舞台は今作がデビューとなったsaraのデスデモーナは高貴で美しく、良家の子女で愛情深い若い妻としての存在感がたっぷり、浅野のイアーゴはオセロー同様にこちらもちょっと異色のイアーゴで頭の切れる策士で全て彼の頭の中で最初から計算され尽くされていたように見えた。小狡い悪者というよりは、全方向に気遣いができ、先々まで見通せる切れ者、といったところだ。

 

老舗新劇劇団だからこその新たな見方を示した「オセロー」、とにもかくにも、、お帰りなさい横田さん!