駒場アゴラの後、下北沢へ移動してザ・スズナリで工藤千夏率いるうさぎ庵の新作「雲を掴む」を観た。

 

*****演劇サイト より********

 

王子様はある美しい女性に恋をしました。二人はさまざまな障害を乗り越え、ついに結ばれました。めでたし、めでたし。さて、ある日、パリのブローニュの森の城で穏やかに暮らしていた二人の元に、アドルフと名乗る男がやってきました……。

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前述の作品説明では架空のおとぎ話のように思えるが、いやいや、世界中で有名な史実 「王冠をかけた恋」—英国エドワード8世と離婚歴のあるアメリカ人マダム・シンプソンとの恋 —を扱った芝居だった。やられた〜〜〜、という感じ。

と言うのも、個人的にとても興味のある題材だったこともあり、のっけからラストまで、半分身を乗り出すほどのめり込んで大いに楽しんで観たのだ。

 

透明の椅子が2脚というシンプルな舞台で、時空を行き来しながら認知症が進んだウォリス(マダム・シンプソンのファーストネーム)の今と過去の思い出というシーンが展開していく。晩年の認知が進んだ彼女ということで、マダム・シンプソン(山村崇子)はガウンのような寝衣をまとっている—これに関しては公爵夫人としてもう少し豪華にしてもよかったかも。

他の登場人物、エドワード8世(桂憲一)、ボールドウィン首相(猪俣俊明)、王の執事ピーター、チャールズ(現キング)(徳永達哉)、ヒトラー(大井靖彦)、カミラ(現王妃)etc.たちは皆白一色のタキシード、白いドレスなどで統一されていて、やはりウォリスから見たあちら側の世界ということを意味しているのだろう。

 

この世界の有事(大戦)に王座を放棄させた”恋”に関しては、それこそ幾多の意見があり、正解などはないのだと思うが、今回この劇を観ながら思ったこととしては、エドワード8世という人は王でいるべき人ではなかったのだろうな、ということ。

 

王太子として生まれたことが幸か不幸か、それはわからないが、少なくとも王たるもの故エリザベス2世のように”国民の王”でありたいという志なければ、、、そのぐらいの気概がなければ王ではないのでは?

なので、彼の退位はなるべくしてなったのだと感じた—その後、突然に王位を受け継いだ弟のジョージ6世のあれこれは映画「英国王のスピーチ」でどうぞ。そこには国民を思う王と王妃の物語があるぞ。

 

エドワード8世のエピソードでぶったまげの最たるものが「親愛なるアドルフ」で始まる手紙を送っていること。これだけでも、彼が王位に居座らなくてよかったな、と思った。

 

と、エドワード8世にはガッカリすることばかりなのだが、舞台においてはこのエドワード8世を演じた花組芝居の桂憲一の演技が光っていた。

冒頭、王笏(国王が持つ杖)をゴルフのクラブに見立ててスウィングするシーン、そしてウォリスをエスコートするシーン、王として客をもてなすシーン、、、どれをとっても優雅でいて気品がある。そしてエドワード8世の性格を彷彿とさせるような教養、そして柔軟さも垣間見せる。

 

はんなりと、自然に王を演じた桂憲一に一票!!

 

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