こまばアゴラ劇場サヨナラ公演の大詰め、木製の向かい合った列車の席で三人の乗客(二人の女性と一人の男性)が雑談をする劇二本、「阿房列車」「思い出せない夢のいくつか」を日をまたいで観た。あいかわらず超満員だった。

 

日曜日の朝に観た「思い出せない夢のいくつか」が何回も通った駒場アゴラ劇場での最後の観劇となったわけだが、不覚にもその日にかぎってケータイを忘れてしまい、思い出の写真を撮ることが叶わなかった。—多くの人がそれぞれの思い出をケータイで撮影していたのだが。。。

まあ、人生そんなもんかな、と思いながら、この二本の思い出に関する芝居もそんなことなのかな、と感じた。

 

******演劇サイト より ********

 

一つの舞台美術に浮かび上がる、二つの列車の物語

『阿房列車』
何もすることがない。手足を動かす用事はない。
ただ、こうやって考えている。
何を考えるというかというに、
何もすることがないということを考えている。
内田百閒先生の名作『阿房列車』を翻案し35年にわたって上演され続けてきた不思議な物語。青年団版『阿房列車』初の東京公演。
1991年、平田オリザが他劇団に書き下ろした最初の作品。目的もなく旅に出た二人は、列車の中で不思議な若い女と出会う。何か事件が起こるわけでもない日常の延長のような列車の旅のなか、車窓の向こうから様々な風景が浮かび上がってくる。

『思い出せない夢のいくつか』
星の数ほど生まれる思いは、衝突、爆発、死を繰り返す
これは大人のための『銀河鉄道の夜』
1994年に青年団プロデュース公演として、第七病棟の緑魔子を客演に迎え、「唐十郎さんや石橋蓮司さんが少女のイメージで捉える緑魔子さんとは違う現在の彼女」を登場させて話題となった。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』や『青森挽歌』、内田百閒の『阿房列車』、寺山修司の『コメット・イケヤ』などを題材にとり、3 人の男女の複雑に絡み合う想いを、行く先が定かでない曲がりくねった線路の上を走る列車に乗せて描く。

********************

 

「阿房列車」では中年の夫婦と後から席についた若い女性の旅行者が会話を交わし、「思い出せない夢のいくつか」ではベテランの女性歌手と長年付き添った彼女のマネージャー(男)、そして新人の若い女性の付き人が旅先での雑談を展開する。

 

途切れない会話、その内容はほとんどがたわいもないもの。

三人で仲良く談笑しているようにみえるが、時にふと、それぞれがそれぞれの世界に引きこもるような瞬間も見える。

いくら旧知の間柄とは言え、やはり個人が抱える思いの本当のところは計り知れないものだ。

 

大きなところで言うと、走る列車のように、いつの世でも時は進み続け、同じところにとどまることは出来ない。人は誰もが死に向かう列車に乗っているようなもの。全てにおいて変わっていくことを受け入れなくてはならない(Bob Dylanかよ)、という静かな提言なのではないかと感じた。

 

そんな劇をサヨナラ公演に選んだ、ということも深い!と思った。

 

都会の片隅、駒場の小劇場が成し遂げたこと。。。。多くのことが日本の演劇界に必要なこと、だったのではないかと思っている。

ここから学ぶべきことはたくさんある。