新国立劇場小劇場でデカローグ(十戒)の10話連続上演の最初の4話を2日にわけて観た。(2&4を14日、1&3を15日に観劇)

 

今後、5月、6月とそのあとのエピソードを上演する予定。演出は現芸術監督小川絵梨子と次期芸術監督の上村聡史が半分ずつ担う。


***** 演劇サイト より *****


デカローグ1 「ある運命に関する物語」 [演出:小川絵梨子]
大学教授の父と、世の中で起きることを数学で解いていく息子。彼らを待ち受ける苛酷な運命。
大学の言語学の教授で無神論者の父クシシュトフは、12歳になる息子パヴェウと二人暮らしをしており、信心深い叔母イレナが父子を気にかけていた。パヴェウは父からの手ほどきでPCを使った数々のプログラム実験を重ねていたが......。

キャスト:
ノゾエ征爾・高橋惠子・亀田佳明・チョウ ヨンホ・森川由樹・鈴木勝大・浅野令子

 


撮影:宮川舞子

(右から)ノゾエ征爾、石井 舜


デカローグ3 「あるクリスマス・イヴに関する物語」 [演出:小川絵梨子]
クリスマス・イヴを家族と祝う男の家を突然訪ねてくる元恋人の頼みとは?
クリスマス・イヴ。妻子とともにイヴを過ごすべく、タクシー運転手のヤヌシュが帰宅する。子供たちの為にサンタクロース役を演じたりと仲睦まじい家族の時間を過ごすが、その夜遅くヤヌシュの自宅に元恋人の女性エヴァが現れ、ヤヌシュに失踪した夫を一緒に探してほしいと訴える......。

キャスト:
千葉哲也・小島 聖・亀田佳明・ノゾエ征爾・浅野令子・鈴木勝大・チョウ ヨンホ・森川由樹


撮影:宮川舞子

(右から)千葉哲也、小島 聖
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デカローグ2 「ある選択に関する物語」 [演出:上村聡史]
一人暮らしの医師と、愛人の子供を身籠った女性バイオリニストの対話と選択。
交響楽団のバイオリニストである30代の女性ドロタと彼女と同じアパートに住む老医師の二人。ドロタは重い病を患って入院している夫アンジェイの余命を至急知りたいと医師を訪ねる。ドロタは愛人との間にできた子を妊娠していた......。

キャスト:
前田亜季・益岡 徹・亀田佳明・坂本慶介・近藤 隼・松田佳央理



撮影:宮川舞子

(右から)前田亜季、益岡 徹


デカローグ4 「ある父と娘に関する物語」 [演出:上村聡史]
父と幸せに暮らす娘。ある日、娘は父が自分に宛てた手紙を見つける。
快活で魅力的な演劇学校の生徒アンカは、父ミハウと二人暮らし。母はアンカが生まれた時に亡くなった。父娘は友達同士の様に仲睦まじく生活していたが、ある日アンカは「死後開封のこと」と父の筆跡で書かれた封筒を見つける。その中身を見たアンカがとった行動とは.....。

キャスト:
近藤芳正・夏子・亀田佳明・益岡 徹・松田佳央理・坂本慶介・近藤 隼

 

撮影:宮川舞子

(右から)近藤芳正、夏子

 

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1989年に制作されたポーランドでテレビドラマとして制作され、その後ベネチア国際映画祭で上映され、そしてカンヌで賞を受賞、世界各国に名作として広まった。十戒をモチーフに全部で585分、10話からなる大作で、今回はその映画(テレビドラマ)から舞台版として各1時間ちょっとの10話からなる作品に立ち上げたのが今作ということになる。

翻訳をポーランド・ロシア文化研究者久山宏一が手がけ、それを元に須貝英が日本語の上演台本を執筆している。

 

元となったクシシュトフ・キェシロフスキ/ クシシェトフ・ピェシェヴィチ共同執筆による映画の原作では登場人物たちは同じ共同住宅に住んでいるという設定になっているため、基本となる美術(by針生康)は中の様子がわかるように客席から見た時に壁が取り除かれた状態の3階建のアパートが舞台中央に設置されていて、その中身(調度品や家具、その配置など)がエピソードごとに変わるという仕掛けになっている(5話以降もおそらくこのルールで進むのだろう)。部屋の中でのやりとり、そして共用部の階段部分で隣人や外部からの訪問者との会話がなされ、話が進んでいく。時に背景に映像が映し出され、場所の移動や心象風景などの情報が補足される。

 

全作(4話)とても暗いライティングの中、時にいかにも仰々しいドラマチックな音楽が挿入され、、”十戒”というテーマを思い出させようとしているように感じるのだが、その割には(日本人である)われわれ観客にはその戒めが重要には響いてこず、どれもラストにちょっとしたどんでん返し、思いがけない展開をみせるといった小さなドラマとしか見えなかった。

 

それが、十戒の大前提としてある宗教(キリスト教・ユダヤ教)が身体の中に根付いていないからなのか—そのあたりを舞台で示唆できなかったからなのか、、映像と舞台の表現方法の違いなのか、舞台での表現方法でさらなる飛躍的なアイディアを採用するべきなのか、、、まだわからない。名作との誉れ高い映像版が”現代の十戒”という創作に成功している(見ていないのでそこまで断定はできないのだが)一方で、この舞台版がなにかコアの部分で抜け落ちているのが何?またなぜなのか、、、いずれにせよ、意図したところには届いていないように思った。

 

プログラムに久山氏による映画「デカローグ」の解説が載っているのだが、それを読むとそのあたりの不足の部分が見えてくるように感じた。—そもそも現在、デカローグ(十戒)を掘り起こし、その真意を提唱することがどれほど市民=観客に訴えかけることとなるのか、といった影響力の違い。