世田谷パブリックシアターで英国人C・P・テイラー作、長塚圭史演出の「GOOD —善き人—」を観た。

1981年にRSC作品として初演された今作は今でも、と言うか昔も今も通じる人間の性質を暴いた名作戯曲であることは間違いない。

 

******** 演劇サイト より *********

ヒトラーが台頭し始めた1930年代のドイツ・フランクフルト。
大学でドイツ文学を教える“善き人”ジョン・ハルダー(佐藤隆太)は、妻(野波麻帆)や3人の子供たち、認知症の母親(那須佐代子)の面倒をみながら暮らす良き家庭人であった。ただ一人の親友はユダヤ人の精神科医モーリス(萩原聖人)。彼には家族の問題や突然訪れる妄想について打ち明ける事ができた。その妄想は、幻の楽団と歌手が登場し、状況に合わせた音楽を演奏するというもの。現実と妄想の区別がつかなくなっていると、ハルダーはモーリスに訴える。一方、モーリスも、自分がユダヤ人であることで、ナチスの反ユダヤ主義により、自分がドイツにいられなくなるのではないかという大きな不安を抱えていた。
そんなある日、ハルダーは講義を受ける女子学生アン(藤野涼子)から、このままでは単位が取れないと相談を受け、その夜自宅に彼女を呼んでしまう。夜遅く雨でずぶ濡れになって現れたアンに、彼は好意を寄せ、関係を持ち始めてしまう・・・。

 

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世界中で上演され続けている作品だが、英国では2022年にドクター・フーで有名なデイヴィッド・テナントの主演、ドミニク・クック演出でナショナル・シアターで上演された舞台が劇評で星を量産し、すぐにナショナルシアター・ライブにラインナップされ世界中で配信されている。

 

今回の日本版ではテナントが演じたドイツ文学教授ハルダーを佐藤隆太が演じている。いかにも“善い人”にしか見えないということで、佐藤に白羽の矢が立ったのだと想像する。そして、その決断はうまく働いているように思えた。

 

善い人=>つまりはどこにでもいる一般市民が愛する家族の生死にも関わる究極の決断を迫られた時、どこまでその”善い”を貫き通せるのか、さらに言えば”善い”を貫き通すことがどれほど重要なのか。。。確実に人は”善い人”であろうと心掛ける性質がある一方で、その善悪の範囲をはるかに超えたところのパワーに対して、人はどのように生きていけばよいのか、、いけるのか。。

異常な社会・政治情勢下での「人」としてのあり方、その限界を問うている。

 

命に危険が及ぶようなパワーの社会で暮らす、ということは、たとえナチス時代のそれとは比べ物にならないかもしれない、、、いやいや今でもそれに匹敵するような状況になっている国はそこここに(それこそ新たにどんどん)生まれてきている。

 

例えば、この劇を見ながら先日見たロシアの反体制派の旗手「ナワリヌイ」のことを思い出したりもした。

 

また、そこまでの規模でなくても、日常で人が”善い人”ではなくなる、またはそれを放棄してしまう瞬間、出来事などは頻繁にあるだろう。—例えば、今作でハルダーが”悪い人”となるもう一つの事象、浮気だとか。

 

また、唯一の真の友人モーリスを選択肢の一つとして裏切らなければ=助けることに目を瞑らなければならなくなったハルダーの心情を思うと、生きていくというのは本当にやっかいなことだと感じる。

 

佐藤と萩原も良かったが、何と言っても盲目の認知症気味の老婆を演じた那須佐代子の演技が光った。

 

クラシックの楽曲を歌う箇所があるのだが、その歌唱に関してはもう少しレベルアップしてもらいたいところ。。。