山崎清介率いるイエローヘルメッツ(旧 子供のためのシェイクスピアシリーズ)の番外公演、リーディングアクト(台本を片手に、簡単な動きをつけてのリーディング)での「リチャード二世」を吉祥寺のライブハウスROCK JOINT GBで観た。

 

********* 演劇サイト より *********

難しすぎず簡単すぎないシェイクスピアを創るイエローヘルメッツ。
番外公演は、ライブハウス×シェイクスピア歴史劇×リーディングアクト!!
5人の役者が、言葉と身体のみで『リチャード二世』の世界を生き抜きます。
土日の昼公演後は、台詞体験ワークショップ“素潜りシェイクスピア”開催!

【あらすじ】
互いに王への大虐罪を訴えて、モーブレーとヘンリー・ボリングブルックは決闘に臨む。ところがイングランド国王リチャード二世はその決闘の結果が出る前に、両者に追放を命じる。
その直後、アイルランドの反乱軍制圧のために遠征が必要となり、リチャード二世はヘンリー・ボリングブルックの父・ジョン・オブ・ゴーントの逝去に際して生じた全財産を戦費に充てる。
相続権を持つヘンリー・ボリングブルックはこの不当な処置に異議を唱えるべくイングランドに帰国するのであった。

 

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舞台美術や小道具、衣装のないリーディング公演ということで、シェイクスピアの歴史劇は「ことば、言葉、ことば」が浮かび上がってくる、シェイクスピアの原点に帰ったような舞台。

 

裸舞台でのリーディングということで、山崎が長尺な戯曲をぎゅっと90分に短縮、役者も5人がそれぞれ数役を受け持っての上演。

 

これが、ぎゅっと凝縮されながら内容が薄まることなく、むしろ焦点が絞られて、リチャード二世のさまざまなテーマがはっきり、くっきりと見えてきた。

多くの形容詞、修辞句で飾られたセリフ、そして会話の繰り返し、言い方を変えての重複(これはシェイクスピア劇が演じられていた当時の演劇事情に、また英文学としても重要なシェイクスピアの原語を聞く英語圏の人たちにとってはなくてはならないもの)により必然的にそれなりに長くなるシェイクスピア劇だが、それをすべてやることが日本での上演に適しているのか???

多くの場合、手にあまり、長く緩慢になることが多く(蜷川さんほどの大掛かりなヴィジュアル、スター俳優などがあれば別かもしれないが)、それゆえにシェイクスピア劇の面白さが十分に伝わらないことが多々ある。

 

その点で言っても、山崎版こどものため=最適に編集されたシェイクスピア劇は確実に日本でのシェイクスピア上演ならではのよくできたものだと常々感じてきた。

 

今回も端的にまとめられたテキストからリチャード二世の悲劇、幼くして王ートップになったリーダーの奢り、リーダーとしての自覚がないままに地位だけが与えられた王の浅はかさ、臣下の気持ちの読めなさ、、などが伝わってきた。

その周りでその王というレッテルだけを欲しがる者たちの狡猾さ、なども。

 

アフタートークで脚本・演出の山崎がWキャストのもう一方は、演じる役者が違ってくることから、また別物になっていると語っていたので、ビール片手に(1ドリンク制)あまり上演されない、この権力抗争、王という者のありかたを問うこの劇を2パターンで見比べてみるのも一興かも(90分だし)。