夜はガラッと趣向を変えて、沢尻エリカの初舞台、伊藤英明との共演「欲望という名の電車」を新国立劇場中劇場(と言ってもかなり大きい)で観た。

 

テネシー・ウィリアムズの代表作でこれまで幾度となく観てきた作品だが、自分の理由のない固定観念を打ち破る新しい発見が多くあり、全体としてもまとまった傑作舞台に仕上がっていた。

そこには主演のエリカ様の堂々たる舞台デビューがあったことは言うまでもない。

 

もしかしたら名舞台女優大竹しのぶに続くのはエリカ様かも、、

 

演出は鄭義信。昨年の韓国のアカデミー賞受賞映画「パラサイト」の舞台化、そして2020年上演のロミジュリの翻案劇「泣くロミオと怒るジュリエット」(両方ともBunkamuraの制作作品)同様に、舞台を南米ニューオーリンズから演出家の出身である大阪に設定を移し、その地の下町でしたたかに生きる登場人物たちはみな大阪弁(上流階級出の姉妹のブランチ(沢尻)とステラ(清水葉月)は別)で話し、大げんかをしている。

 

この赤毛もの(外国人の格好をして上演する外国戯曲の舞台をかつてそう言った)をググッと私たちに引き寄せた一手間により、舞台上の出来事がより身近に感じられ、そのおかげで話もすんなりと入ってきた。また、鄭演出らしいクドイほどの笑いのシーンも、今回は私たちに近づけることに一役も二役も買っていた。— 主に芸達者な青木さやか、福田転球、中村まことらがこのコメディ部分を担当。

 

そして何と言っても目から鱗の発見だったのが、ブランチの年齢設定。

 

これまで、文学座の杉村春子の当たり役というレッテルが輝かしすぎたからなのか、ベテラン女優がブランチを演じる(男優のマクベス役のように)のが常で(筆者もこれまで大竹しのぶ、樋口可南子、そして本人待望の女形バージョン篠井英介などの舞台を観てきた)、今回も観る前には沢尻エリカでは若すぎるのでは?と危惧していたのだが、今回の舞台を観て思ったのはこちらの年齢設定の方が正しい、ということ。

 

妹のステラとの年齢差を考慮すると、ブランチはまさに今の沢尻さんの年齢、37歳ぐらい、、アラフォーぐらいということになる。

そうなると、ブランチの行動、そして周りの反応 —スタンリー(伊藤)がブランチと浮気してしまうのも、彼が「最初からこうなることはわかっていた」と言うのも納得 — も多くのことが合点がいく。

ブランチがミッチとの結婚を企んだのも、スタンリーをずっと男として意識していたのも、、そして人生オーラスの夢破れたあとに精神を病んでしまうのも彼女が女としての武器を使えるギリギリのところに差し掛かっていたから(もちろん、その考え自体が古いと言えばそうなのだが)。

 

ブランチという女性が終着駅”天国”で降りた瞬間からみんなの人生の歯車が急速に回り始める、そんな特別な魅力=力を持った女性ブランチは頭のネジが外れた女性ではないはず。

頭が働く=良いからこそ一世一代の勝負にでた舞台で思い通りにいかなかったー>ミッチをものにできなかった、想定外の結末についていけず、、、結果としてあちらの世界に行ってしまった。。。

そして、そんな聡明な女性でも”結婚”に夢を託さなければならない女性の地位の低さ、がこの戯曲が今でも問いかける大きなポイントの一つなのだろう。

 

また、今回の舞台ではすべての悪夢の始まりをブランチが経験した元夫の性的嗜好ゆえの自死、、というところに集約していて、その部分を早い段階から強調している。こちらに関しても今、議論されるべきトピックスと言えるだろう。

 

これらの今上演する意義が今回の舞台では明確にされ、また配役もそれに適したものだったと感じた。

 

もう一人の主役、スタンリーに関しても伊藤英明は前回の「橋からの眺め」よりもイキイキと役を生きていたように感じた。

 

休憩時間や終演後、「欲望という名の電車」についての知識を語り合っているカップルや友人の声がそこここで聞こえた。

有名人の舞台ということでチケットを入手した人も多いと思うが、結果、芝居への興味がわいてくる、というのは良い兆候。