夜は六本木へ移動して俳優座のLABO公演、同じ戯曲を三人の演出家が演出、日替わりで上演するという企画の「スターリン」を観た。観劇した日は村雲龍一演出の舞台。

このところ、この俳優座のアトリエ公演にはまっていて、チラシで見つけるたびにチケットをゲットして観ている(それでもアトリエ公演のため、キャパが少ないのか、売り切れの場合もある)。

 

********** 演劇サイト より ********

1985年に作家ガストン・サルバトーレによって生み出され、世界中で上演されている『スターリン』。舞台はモスクワから32キロ離れた別荘。齢70歳のスターリンと、リア王を演じている老ユダヤ人役者サーゲリが出会うところから物語は始まります。本邦初演となるこの作品を、3人の演出家・3つのチームによって上演いたします。

 

*************

 

チリ生まれでドイツに移住、ドイツ語で執筆しているガストン・サルバトーレの代表作だが、日本では初演とのこと。

 

上記にあるように、ソビエト連邦の独裁者スターリン(小田伸泰)とユダヤ人役者サーゲリ(斉藤淳)の会話、やりとりが続く二人芝居となっている(そのほかにスターリンの部下、召使役として数人が台詞はないが出演している)。

 

大粛清で多くの国民を殺した独裁者スターリンの晩年ということで、絶対的な権力の座にありながら何かに怯え常に臨戦態勢を崩さない絶対君主の病んだ心理が見え隠れする一方で、初めは芸術家としてシェイクスピア芝居談義をしていたサーゲリは徐々に追い詰められ、独裁者の顔色をうかがわざるを得なくなる緊迫した状況になってくる。最終的には双方ともいよいよ抜き差しならない状況に。

 

革命家から転身し、力で国のトップに君臨し続けたスターリンの自分に言い聞かせるような君主論—リア王の話として語られる—が語れば語るほどほころんでくるのが面白い。

また、役者としてシェイクスピアを分析していたサーゲリの本心(本当のところ)が見えてくるところも興味深い。

もちろん今のロシアの独裁体制の行き着く先を考えずにはいられない。

 

スターリンの心情を表しているのだろうが、台詞回しが異様に急いでいるのが少し気になった。