ケラリーノ・サンドロヴィッチと緒川たまきの演劇ユニット、ケムリ研究所公演の第三弾「眠くなっちゃった」を世田谷パブリックシアターで観た。

 

開幕直前に大規模な機材トラブルが確認できたため、急遽初日が延期となった公演。修復にあたったスタッフ、チームの努力が実って約1週間後に無事幕を開けることが出来た。

 

そんな事情もあり(いつものことだが)劇場は満杯で、3時間超え(これもいつものこと)の大作エンタメへの期待の空気が充満していているように感じた。

 

近未来のどこかの国、地球環境はますます極端になり、寒暖の差が激しく生植物の生存が危ぶまれるようになった世界。そこでは責任者の顔も見えない中央管理局が市民の生活を監視、厳しい統制を敷いていた。そんな状況下では富めるものとその下で苦しめられるものとの格差がとてつもなく広がることは避けられない。

その下層部に属し娼婦として生計を立てているノーラ(緒川たまき)、最愛の夫ヨルコ(音尾琢磨)を亡くしたあと夫の人型ロボットを話し相手に暮らしていたが、古いロボットは爆発する危険があるとしてその彼女の生きる拠り所であるロボットを取り上げられてしまう。そんなノーラのもとに新たに指導監察員として派遣されたのがリュリュ(北村有起哉)。彼は美しく純粋なノーラに好意を抱くように。。。一方で、世間では管理局の締め付けが日に日に厳重化し、新たに突然一部の記憶をなくすといった奇病が報告されるようになり、ますます終末へ向けての混乱が増していく。

昔起こした犯罪歴から管理局に目をつけられたノーラは投獄させられそうになるが、リュリュが彼女を連れて逃走。ノーラが以前働いていたサーカス団にかくまってもらうことに。

果たして二人の運命は? ノーラの周りの、やはり必死に生きている人々の末路はどうなるのか??

 

といったお話で、そこここに今日のキーワード => 例えば、地球温暖化による環境破壊、AIと共生する社会、力、そしてお金のある一部の特権階級が世の中をコントロールする社会 などが配されていて、SFフィクションとは言えそこにはかなりリアルな感覚の警告が含まれている。。。。と言うか、それはフィクションがリアルにさらに近づいてきたからもっと身につまされている、リアルに感じているのかもしれない。

 

劇を観ながら、60年代のルイス・ブニュエルのシュルレアリスム映画やテリー・ギリアムの「未来世紀ブラジル」なんかを思い出していたのだが、パンフレットに作者ケラの「未来世紀ブラジル」のような芝居をつくりたいと思って、、というコメントを読んで大いに納得した。それをどう感じるか=上記で書いたようにリアルに受け止めるかどうか、、は観客側の心持ちの変化ということになるのだろう。

 

そんなストーリーとは別に、今回特筆すべきはなんと言っても映像(上田大樹)が担う重要度の高さとダンス(カンパニーデラシネラの小野寺修二ら四人がサーカスの道化師として参加、劇をなめらかに繋ぐ動き(ダンス)の部分を担当している)パートを入れ込んでいること。

 

映像は舞台全部のサイズから、その全部の幅でも時に上から下へ、下から上へと移動し、もちろん細部のところまで、、目まぐるしく変化する照明効果(関口裕二)とともに大いに効果を発揮している。

この映像効果を楽しむだけでも、若手の作り手などには大いに刺激になるのではないだろうか。

 

舞台装置の効果的な移動、シーンの流れを円滑にする役割としてダンス四人組が活躍。この新しい試みも、これからの作品作りへのアイディアの一つとして面白いと感じた。

(彼らが着ている宇宙人のようなボディスーツがBBCのこども番組”テレタビーズ”に見えてきて仕方がなく、、思わず笑うシーンではないのに口をおさえて笑ってしまった! 中でもももこんが超キュートでその笑顔に目が釘付けに。)

 

当て書きに近くなるのでそうなってしまうのかもしれないが、ヒロインの緒川たまきのキャラが毎回かぶり気味なのが少し気になった。天然で、人がよく、騙されてもその人を恨まない。。。確かにこの作品のような救いのない社会にはそのような女神のような人間がいてもらわないと困るのだと思うが、、次はぜひ緒川さんにまったく想像できないような別キャラを演じてもらいたい。