目黒パーシモンホールで新潟りゅーとぴあのレジデンスカンパニー、金森嬢率いるNoizmの新作「領域」を観た。

 

******演劇サイト より ********

『Floating Field』 演出振付:二見一幸
舞台に流れる嵐の前のような静寂の時間と繊細で緊張感ある空間の中
身体が刻んでゆく時間
身体が描いてゆく空間
そこから現れてくる舞踊の形

ダンサー達は、他者との合流や集合・離脱を繰り返し、さまざまな状況を創りながら流動化していく。
心の動きに問いかけながら、自分の中にある舞踊言語を駆使してこの「時間」と「空間」と「身体」の流れが導いていくところへ向かって行く。

『Silentium』 演出振付:金森穣

《Silentium》とは、アルヴォ・ペルトによる楽曲《Tabula Rasa》の後半部分に相当する、20分程の楽曲である。
Tabula Rasaとは何も刻まれていない石板を意味し、Silentiumとは沈黙や闇を意味するラテン語である。この楽曲を私はNoism 設立年である2004年に『black ice 第3部 black garden』の終曲として用いている。

私にとって同じ楽曲を別の創作に用いることは稀で、今回はその異例の一つとなる。
それほどこの楽曲に“いま”惹かれたのである。
私にとってある楽曲に惹かれるということは、そこに世界(空間/照明/舞踊家)が見えることを意味する。

18年前そこに見えたのは一人の男(私)の姿であり、今回そこに見えたのは一組の男女、私と佐和子の姿であった。
佐和子と二人だけで踊り“続けた”ことがない。
Noismでの作品はもちろん、unit Cyan(金森/井関のユニット)として発表した作品ですら、互いにソロを踊ったり、映像を挟んだり、いわゆる展開があってのことで、二人だけで踊り“続けた”ことはない。踊り続ける私たち。「私たち」という領域。「私」の中に「あなた」を内面化し、「あなた」の中に「私」を拡張することで生まれる「私たち」という領域。明滅変容する空間も、沈黙を奏でる音楽も、見つめる観客の視線もすべて内面化して、「私たち」という領域を拡張していく。その場にいなければ決して共有できない「沈黙」を共有するために。

沈黙に満ちた静寂の中、一組の男女が踊っている。
身体を伸縮させ、空間を変容させながら、沈黙の対話を続けている。
沈黙に満ちた静寂の中、音楽が生まれる。
空間を明滅させ、身体を変容させながら、沈黙を奏で始める。
沈黙と沈黙の拮抗。その間に生まれる第3の沈黙。
再び訪れた静寂の中、一組の男女が踊っている。
そこにある静寂は、かつてのそれとは異なる沈黙に満ちている。

 

*************

 

「Silentium」 からの「Floating Field」という順番で上演された2作品。

 

Silentium では金森穣と井関佐和子の2人が夕暮れの大地のような背景の前、4箇所の砂山—天井から砂が降り、床に砂山を形成、とその他には1本の蝋燭が灯っている。照明によって金にも銀にも光るメタリックな衣装に身を包んだ二人は引かれ合う磁石のように引き寄せあい、重なり合う。

 

Floating Field は白か黒一色の衣装のNoism1のダンサーたちが細長い白いカーペットの上で接触し、それにより感知し合う人間の瞬間、瞬間の関わりあいを表現し、強靭な身体からの繊細なダンスを展開。

喝采を浴びていた。

 

GREEN SPOON ゴロゴロ野菜スープ