新宿紀伊国屋サザンシアターで鵜山仁5年ぶりとなる文学座劇団公演演出舞台、シェイクスピアの「夏の夜の夢」を観た。

 

撮影= 宮川舞子

吉野実紗/ 石橋徹郎/横山祥二/中村彰男

 

同じシェイクスピアでも、馴染みの薄い英国の歴史についての歴史劇や解釈が難しい問題劇にくらべると妖精の国のキャラクターという華やかさ、恋の鞘当てといった娯楽性からか観客には受け入れられ易い喜劇であり、またその内容の自由度から演出家の色が出やすい演目として多くの演出家による色とりどりの名作舞台(日本でもピーター・ブルック、エドワード・ホール、蜷川幸雄演出、野田秀樹版などの傑作舞台が上演されている)の上演があり、多くの人が一度はなんらかの形で観たことがあるのではないだろうか。

 

上記の演出家たちの舞台ももちろん素晴らしかったのだが、ちなみに私のベストはロンドンのグローブ座(オープンエアーの劇場)で観た当時のグローブ座芸術監督エマ・ライス演出のカラフルで(とても良い意味で)ごった煮の舞台。

NTLiveで観たニコラス・ハイトナー演出、ロンドン・ブリッジシアターでのアクロバティックな舞台も素晴らしかった。

 

最近では新国立劇場で観た、フレデリック・アシュトン振付のバレエ舞台が印象に残っている。

 

。。。と、概してこれらの傑作舞台、やはりその演出—舞台装置や衣装、ムーヴメントを含めて—に特徴のあるものが多く、昨今は得にフィジカル&ヴィジュアルでどのように華やかに夏の夢を演出するか、というところに焦点があてられているものが多い傾向にある。

 

そんな中で今回の文学座の舞台、もちろん舞台写真にあるようにキッチュでカラフルな衣装(原まさみ)も目につくのだが、基本的にはシェイクスピアの戯曲(小田島雄志訳)の言葉を丁寧に上演した、文学座らしい戯曲を読み込んだ舞台になっていた。

 

撮影= 宮川舞子

小谷俊輔/大原康裕/横山祥二

 

**** 演出家のコメント 演劇サイト より ******

 

街と森…庶民と貴族…恋の幻惑と幻滅…人間存在と「非」人間存在 …夜と昼…夢とうつつ…そして生と死…上演にあたっては何よりもこうした 一見対立する概念世界の交流・交錯・衝突・爆発が生み出す新鮮・奇体・自由な風景の出現を待望しています それはいわば個体の死後 また生前とも連なり 「わたくし」を超えた 広く長い時空に関わる価値観であり 今われわれがぼんやりと しかし実は痛切に必要としているヴィジョンだと思うのです (鵜山 仁)

******************

 

アテネの公爵とアマゾンの女王の悲願の結婚式、そしてアテネの男女4人のこんがらがった恋模様、一方でそんな彼らを導く妖精たち、さらにその妖精界の王と女王の諍い、そこに介入させられてしまう村人たち、、、そんな恋愛模様のボタンの掛け違い、倦怠期にありがちな意地の張り合いの様子を観ながら思ったのは、こんな男女関係って今でもそこここで起きているなということ。

 

そこで不謹慎ながら自然と頭に浮かんできたのが、巷を騒がせているW不倫のゴシップ、そして真相はわからないがスキャンダルがもとで自らの命を断つという悲しい決断をしてしまったという事件。

どちらも、いわゆる想定外の案件、驚きの展開であるがゆえにこれほど人々の関心を集めているのだと思うが、そもそも「恋愛」に関しては決まった道筋などなく、それこそなんでも起こりうるということ。

 

何かを犠牲にしてまで思い詰めた恋愛であっても、これまた妖精のせいにしてしまいたいほど、突如として冷めてしまうことも多々あることだ。植物の魔法のエキス、なんていうものを使わなくても世間では惚れた、いや違った、運命の人だと思い込んでいたのに、、なんてことはあちらこちらで起きている。

 

人間の恋、恋心というのは、いつ、どうやって起こるのか、人はどんな理由で、タイミングで人を好きになるのか、、、それこそ天文学的なバラエティーがあって、たとえ本人であってもそれがどうして起こるのか、皆目わからないということをこの「夏の夜の夢」を観ながら再認識させられた。

ロバに恋する上流階級夫人、突然駆け落ちした恋人を蹴散らしてしまう男、お小姓にゾッコンの旦那、などなど、それらも恋する夏には起きてしまうだろうという話なのだと。

 

撮影= 宮川舞子

中村彰男/石橋徹郎

 

夢の出来事と謳っていながら、実はとっても人間臭い、人間の矛盾(得に恋愛における)について、何年経っても変わらない人間の性(さが)のおはなしなのだと気づかされた舞台だった。文学座の俳優たちの堅実な演技—真ん中で世界を治めるオーベロン役の石橋徹郎の存在が全体をまとめあげ、ベテラン男優たちが村の職人たちをキュートに演じていた—、そして舞台上で演奏するドラム、太鼓、木琴の効果音、薄布に映し出される幻想的な森のイメージ、、とシンプルながら役者たちの饒舌な(小田島雄志)セリフを邪魔しない演出の配慮が良い。

 

村人たちの寸劇の部分が省略されてしまう演出も時に見るが、今回はたっぷりと見せてくれていて、この劇のもう一つの主題である人生における”演劇性”についてもきちんと描かれていた。

 

撮影= 宮川舞子

 

撮影= 宮川舞子

 

撮影= 宮川舞子

 

 

バイリンガル(日英)の演劇サイトはJstages.com