座・高円寺で丸尾丸一朗率いる劇団鹿殺しのOFFICE SHIKA PRODUCE「ダリとガラ」を観た。

 

********* 演劇サイト より ********

「天才を演じよ。されば天才になる」

初めて実在の人物を描こうと思ったのは、サルバドール・ダリとその妻のガラの話を聞いたからだ。
天才であろうとし続けたダリ、そして妻としてマネージャーとして彼を支え続けたガラ。
芸術と歪な愛の物語は、僕の創作意欲を掻き立てた。
コロナ禍において、芸術は必要か?幸せとか何か?
こんな時代だからこそ愛が必要だ!と家で悶々と考えてしまったから。
2人の人生を模倣するのではない。彼らを描くことで、僕らの新しい扉を開きたい。
と今、頭の中にあることを乱雑に書き殴ったが、結局は圧倒的な生命力が溢れる舞台を作りたい。
僕が出会って救われたような演劇を作ります。
    ――丸尾丸一郎(座・高円寺フリーマガジン28号より)

 

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タイトルからも一目瞭然のように、スペインのシュールレアリスムを代表する画家サルバドール・ダリとその妻ガラの生涯描いている。

裕福な公証人の息子として生まれたダリには幼い時に亡くなした同名の兄がいて、自分はその同じ名前の兄の替わりという意識を強く持っていたということや、若い時分からその画の才能は知られるところだったということ。またマドリッドやその後移ったパリで当時最先端にいたアーティストたち(ロルカ、ルイス・ブニュエル、ピカソにブルトンら)と交友を持ち、時に反発しその輪から外されたこと、、、そして、もちろんガラとの出会い(今で言う略奪婚)、ガラのマネージャーとしての才覚、彼らの複雑な恋愛模様(ガラは恋多き女で、若い才能のあるアーティストと浮気をしていた)、その愛ゆえの葛藤、、ガラ亡きあとのダリの落胆の日々、、などが年代を追って、スケッチのように描かれていく。

 

その描き方が独特で、年代をただ追っていくのではなく、複数人の役者がその時々のダリを演じる(それは時に兄の亡霊であり、また時にナルシスト満開のダリであり、王として持論を説くダリであったりする)スタイルをとっていて、その中でも中心となるパープルのスーツを着こなしカイゼル髭をたくわえたダリ(雷太)の周りにそれらのダリが次々に現れ、彼の人生を振り返っていく。

ガラの方も北野日奈子演じるガラを中心に、その時々の彼女の分身が変わるがかる現れる演出になっている。

 

ダリとガラの生涯を、彼らの周りにいた人物たちを交え紹介しているのだが、このように複数人で彼らの日々を描くことによって、そこにダリの画風—謎めいたメッセージ(無意識の探求)が込められたシュールレアリスムの表現—、そして彼の(やはり)天才と言えるであろう天分の輝きが、万華鏡のように見えてくる仕掛けだ。

それらがファッショナブルな衣装に身を包んだ華のある役者たちによってスピーディーに語られる舞台はいつもの座・高円寺の客席よりも年齢層が若返っていたように感じた。

 

ダリが残した有名な言葉が劇中で数多く使われていてそちらも楽しめるのだが、一方でそこに作者のフィクションの部分をもう少し出して、作者からのメッセージを打ち出しても良かったかもしれない。

 

パリのモンマルトルにあるダリ・ミュージアムに行ったときに、そのスペインの天才のバラエティーに富んだ多作ぶりに感激したのを思い出した。