シアターコクーンで英国Whole Hog Theatreのアレクサンドラ・ラターが演出した「ロミオとジュリエット」を観た。

 

2013年に「もののけ姫」をラターが演出、舞台化した際にインタビューをした経緯があり久しぶり!ということもあってコクーンに駆けつけた。

 

 

****** 演劇サイトより *******

 

世界で最も有名な劇作家シェイクスピアによる不朽の名作『ロミオとジュリエット』を、エネルギーあふれる現代の才能を結集させ新たな舞台として誕生させることが決定しました。ピュアな恋人たちのロマンス、若者たちのやり場のない情熱や葛藤を、芝居とダンスを融合させた芸術性豊かなムーブメントで現代的、かつ幻想的に魅せていきます
 

ロミオ役に抜擢されたのは、いま最も勢いのあるダンス&ボーカルグループTHE RAMPAGEのパフォーマー長谷川慎。鍛え抜かれた肉体が生み出す圧巻のダンスパフォーマンスは多くのオーディエンスを魅了。近年は俳優としての活躍もめざましく、高い身体能力と繊細な演技を武器に新時代のロミオへと挑みます。ジュリエット役は、ミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』のヒロイン・マリア役も記憶に新しい、北乃きい。数々の作品で培われてきた豊かな表現力で、まっすぐで清らかなジュリエットを演じます。
演出は、シェイクスピアを生んだ地であるイギリス出身のアレクサンドラ・ラター。彼女の才能に触れた宮崎駿監督が『もののけ姫』の舞台化を初めて認め、ロンドンと東京での上演で高い評価を得ました(2013年『Princess MONONOKE ~もののけ姫~』)。
創造性あふれる新進演出家とフレッシュなキャストによる新生『ロミオ&ジュリエット』にご期待ください。

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今回の「ロミオとジュリエット」に関しては、残念な結果に終わっていた。

 

まず、上記の作品説明の中で言っている「現代的、かつ幻想的に魅せていきます」この部分からして意味不明。

 

シェイクスピアの物語は作品の中に様々な形での社会的・文化的背景への批判、人間だからこその矛盾、運命的悲劇とそれに立ち向かう理性などが描かれていて、たとえ設定が仮想の世界であったとしてもそこにテーマがしっかりとあり、たとえば今回のロミジュリにしても若者ゆえの恋の悲劇を「幻想的」に描くことに勝機はあるのか??

 

もしかしたら、その少女漫画的な(決して少女漫画が悪いわけではないのだが)アプローチがこの舞台を古臭く、そして退屈な成長できていない子供たちの心中ごっこに終わらせてしまっていたのかもしれない。

 

まずもって、若い主人公2人のキャラクターに周りの人を惹きつけて病まないような魅力がない。。甘やかされ、浅はかな「子供」たちにしか見えない — もし2人が生き延びていたとしても、数年後には他の恋愛沙汰でまた騒動を起こしていたのではないか、、と思えるほどだ —蛇足になるが、、その意味でも昨年夏に上演された野田マップの「Q: A Night at The Kabuki」は大きな愛があり人としての普遍のテーマがしっかりとある名作だった!!

 

中途半端な現代文化の導入(衣装、スマートフォンや剣ではなくガン)もそれほど功を奏していたとは思えないし、普段の話し言葉で会話をしているところに、ぽこぽこと挟み込まれるシェイクスピアの名台詞も、いきなりなものですっかり台無しという結果に。

 

セットを組まず、セットのパーツを移動式にして、シーンごとに場面を作っているのは良いのだが、、それも効果的というよりは予算の関係??と思えてしまった。

 

全てが最後の墓場での「生」の行き違いのシーンへ向けて、、、という意図はわかるのだが、それにしてはその肝心のシーンがドタバタとしてしまって慌ただしく終幕となってしまっていた。

 

皆が知っている(と思っている)戯曲だけに、今の観客に向けた戯曲の読みをしっかりとみせてもらいたかった。