池袋シアターグリーンで日本劇団協議会主催の「黒い湖のほとりで」を観た。

 

2019年から1年間文化庁の海外研修制度でドイツに滞在し、2つの劇場(マキシムゴーリキー劇場とシャウビューネ劇場)で研修を行った文学座の演出家、西本由香がその海外研修の成果ということで演出した舞台。

 

 

******* 演劇サイトより あらすじ**********

四年ぶりに再会した二組の夫婦。自ら死を選んだ子供たちが残した言葉は永遠に解き明かされることのない問いとして四人の前に投げ出されている。
堂々巡りする「なぜ」。
もう決して解り得ないものをそれでも解ろうとする極限状態の中で繰り返させる後悔と疑惑、欺瞞、自責他責の言葉。
やがてその言葉の群れは四重奏となり湖に広がっていく。

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日本でも「タトゥー」「最後の炎」「無実」「泥棒たち」などが上演され、人気のあるドイツ人作家デーア・ローアーの戯曲で2015年に日本で初演もされている。

2組の夫婦の久しぶりの再会。最初は昔の思い出話、当たり障りのない社交的な会話が交わされ再会を喜んでいた(ように見えた)4人だったが、徐々に避けては通れない話題— それぞれの息子と娘が心中事件を起こし湖で溺死した —に及んでいくと、一人一人が抱えていた他の人への疑問、不満、そしてかろうじてそれまで封印してきた心の闇が沸々と音を立てて湧き出てくる。

 

プールの底のような白い一段下がった舞台の上には子供たちの最後の場所となった、そしてかつて大人たちも遊んだボート、大きな紙の船が浮かんでいる。

 

他には何もない、その白い底面で四人の男と女の、所々”穴の空いた”会話が展開される。

その穴が空いた部分は劇が進むにつれて、埋められることもあり、、また空虚のままということも。

 

そこを埋めていくのは観客の心と想像力だ。

 

二人の若者の死に関して原因が語られることはなく、残された大人たちはその「永遠の謎」を抱えながら日々を過ごし、未来を考えていかなくてはならない。

 

時間の流れが建前を消した後に始まる四人の心を開いた、それゆえに棘が見える会話、、そして誰にも分からない多くの穴。

 

それらが絶妙な配置とバランスで連なり、観ているものへと問いかける。

 

何十年、いや何百年経っても残る戯曲というのはこういうものを指すのだろう。毎回、新しくその場で観ているものたちへ問いかける戯曲。

 

文学座、劇団牧羊犬、劇団東演からの四人の役者もトーンが揃っていて良かった。