座・高円寺で劇団HOTSKYの新作「ほおずきの家」を観た。

 

劇団HOTSKYは作家・演出家の釘本光と美術の鈴木美穂子のユニットとのことだが(劇団HPより)、今回が初見となる。

今回の「ほおずきの家」は釘本の戯曲を劇団扉座の横内謙介が演出している。

 

知らない劇団の作品だったので正直あまり期待しないで(すみません)客席についたのだが、これが翻も面白く、また横内のコネクションなのか、扉座や他の劇団から集まった役者たちのアンサンブルがとても良く、もちろん演出の妙もあって最後まで目を見開いて大変面白く観た。

ラジオ放送が流れるシーンでジェフ・ベックの死を入れ込んでいたのには感心した。

 

**** 演劇サイトより あらすじ ****

かつて、製鉄で栄えた街。
今は、工場は跡形も無くなり、海の上に洋上風力発電の風車が立ち並んでいる。

その海沿いの街で、食堂を営む女。
四十年ぶりに訪ねて来た男。

知っとう?何でお盆に鬼灯を飾るか。
ほおずきは、盆提灯の役目をしとるんて。
亡くなった人の魂が、お盆に、迷わずちゃんと縁がある人のところに戻れますようにっち。
けど、海に沈んだ人の魂は、紅い鬼灯りを探しきらんけん、代わりに、白い海鬼灯を鳴らすんて。
海鬼灯を鳴らすんはね、私はここで待っとるよおっち、海ん中で眠っとる愛しい人を呼びよるんて。

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舞台中央にみょんふぁが演じる女主人がきりもりしている食堂兼居酒屋があり、その両脇に食堂近くの海辺の砂浜、砂浜へと続く階段が設置されている。

ほとんどの場面は食堂に夜な夜な集まってくる常連さんたちが交わす会話、そして訳あってシングルマザーの女将と娘(七味まゆみ)がそこで交わす会話が中心になっている。そこに久しぶりに町を訪れた(帰郷)男—彼は女将がシングルマザーになった経緯を知っている—の登場により、長い間タブーとされていた娘の出生の秘密が明かされていくという内容になっている。

 

劇の冒頭、そして時折、女将と娘の父親が愛し合っていた当時(20年以上前?!)の浜辺でのデートのシーンが挟まれることで、なぜ彼らが離れ離れになったのか、父親とはどんな人物だったのかが観客にはわかる仕掛けだ。

 

愛する若い2人が一緒になれなかった原因は父親が在日朝鮮人であり、彼がさまざまな面で何かと不利となるその出自を懸念して彼女との結婚、さらには子供を持つことに同意しなかったという背景がある。そしてもう一つ、在日であることを公にした上で仕事—映画監督—で名を上げたいという思いも強く、彼女を残して上京したという状況もあった。

 

今でこそ、K-POP、韓流映画と若い人たちにとってはコリアは憧れの対象であり、ここで描かれるような市民レベルでのあからさまな差別があったとは想像できないのかもしれないが、日本で生まれ育った人たちに対し(もちろん外国籍の人や海外から移り住んできた人たちに対してもそのようなことはあってはならないが)確かにこのような偏見や差別があった、、もしくは今もあることは確かで、そのようなことを劇場に来た若い人たちに知ってもらうことはとても大切なことだと感じた。

 

それを庶民の中の身近な話として伝えているところも効果的。さらに言えば、もう少し時を進めて、今の日本の状況— ベトナムからの留学生が食堂でアルバイトをしていて、彼女は日本でちゃくちゃくと技能を身につけ、それを将来に活かす準備を整えている。また日常でも臆することなく、カタコトだけれどチャーミングな日本語で自分の意見を発して店のお客たちに受け入れられ、かわいがられている —を挟み、これからの国際交流の形、理想を示しているところも抜け目が無い。

 

在日3世であるみょんふぁが相手が在日ということで思いがけない障害の犠牲となる日本人女性を演じているというキャスティングの妙もあり、また前でも触れたように、彼女を取り巻くカラフルな役者陣が魅力的だった。

みょんふぁの優しいキャラクターが、こん回の苦労をものともしない明るい女将の役にピッタリだったことがこの舞台を成功に一役かっているのはもちろん、キュートな娘役の七味、若い女将が惚れるのも納得の長身イケメンの父親(若い頃)役の松本旭平、店の常連で女将の友人役の伴美奈子(劇団扉座)、やはり常連で猪突猛進タイプの母親役倉品淳子(劇団山の手事情社)、娘の幼馴染で相談役の犬飼淳治(劇団扉座)などなど、、彼らが集まる食堂の様子は観ていて飽きなかった。

 

途中、で挟まれる映像演出は改良の余地があると感じた。