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東京芸術祭のFTレーベルプログラムの2作品を10/29に続けて観劇。

 

ーー「捌く-Sabaku」ーーー

東京芸術祭HPより

akakilike(アカキライク)を主宰する倉田翠演出のダンス作品。これまでダンサーと制作する作品だけではなく、薬物依存の回復施設の入所者たちや、複雑な歴史が染み込んだ地域の高齢者などと協働し、そのいずれも“人と人”として相手と向き合いながら、彼らのありのままの魅力を引き出し、作品として舞台上で結実させてきた倉田。

本作品に集まった出演者も、プロのパフォーマーからそうでない者まで、多様な経験を持つが、個々の存在そのものの輝きが、倉田の手によって引き出されている。2017年の初演後もアップデートを続け、コロナ禍で2度中止となったその新バージョンがついに登場。

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創作過程、その創作が目指すところなどには大いに興味があるのだが、作品自体はやや退屈だった。

一人一人の発表会のようで、もう少しカンパニー全体としての表現があれば、、と感じた。

 

ーー 「An Imperial Sake Cup and I - 恩賜の盃と私」ーー

東京芸術祭HPより

タイおよび東南アジアを代表する歴史学者であるチャーンウィット・カセートシリによるレクチャーパフォーマンス。1964年に当時の皇太子(のちに平成の明仁天皇)夫妻がタイを公式訪問した際にチャーンウィットが記念に賜った酒盃を起点とし、自身の個人史をたどりながら、日本軍のタイ駐留、ベトナム戦争、1970年代のタイの学生暴動など、世界的な社会の変容を辿っていく。モノや記憶にまつわる個人的かつミクロな視点から、タイと日本の歩みを重ね合わせ、両国の歴史を柔らかに解きほぐす。2020年に国際交流基金アジアセンター主催 ”The Breathing of Maps” (「呼吸する地図たち」)のプログラムとして、チェンマイ(タイ)にて初演された本作を、初の海外公演として日本で上演する。

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レクチャーパフォーマンスという、そのドキュメンタリーの性質がこの作品を考えさせられる、面白いものにしている。

内容自体はそれほど驚きのあるものでもないのだが、目の前の人物に起こった日本との強い関わり、、特にタイトルにもなっている

1964年にタイを訪れた当時の天皇皇后両陛下(上皇天皇、上皇后)の現地での振る舞いがどれほど大きくカセートシリの人生に影響を与えたのかがとても興味深い。

先ごろ亡くなられたエリザベス2世も多くの国を訪れ、その国の人たちに愛されていたが、上皇天皇、上皇后様の外交も大きな役目を果たしていたのだな、と、、今何かと話題になっている皇族の役割について考えさせられた。。外交とは人と人との繋がり、信頼なのだな、と。