(c) Arianne Catton Balabeau

 

1999年第2回シアター・オリンピックスで「血の婚礼」を上演して以来、2009年「ドン・ファン」2011年「シモン・ボリバル、夢の断片」、2012年「春のめざめ」など、SPACではお馴染みのアーティスト、オマール・ポラスの半生を、ポラス自らが演じる一人芝居「私のコロンビーヌ」を静岡芸術劇場で観た。

 

コロンビアの貧しい家に生まれたポラス。教育熱心な母親の勧めでどうにか学校を卒業するものの、将来何になりたいのか決められずにいたポラスはニーチェの本を立ち読みしていた(貧しかったので買うことはできなかった)本屋の主人に目を掛けてもらうようになり、そこから思いがけない人生へと歩み始めることとなる。パリの素晴らしさを熱く語る本屋の主人の言葉に動かされ、単身、言葉もわからない国フランス、パリへと渡ったのだ。

メトロで道化のパフォーマンスをしながら日銭を稼ぎ、徐々にパリでの生活に溶け込んでいくポラス。恋をして、新しい出会いを経験し、、彼がその後行き着いた先が、今私たちが舞台上に目撃している彼の姿—世界有数のアーティストでありスイスのジュネーブ郊外にある劇団テアトロ・マランドロの主宰者として世界を股に掛け活躍する演劇人という彼の姿だ。

 

黒のシンプルな上下を身に纏ったポラス、「ゴドーを待ちながら」ではないが、舞台上には1本の枯れ木と数個の岩が重なった岩場だけ。そんな「何もない空間」で現代のおとぎ話ともとれる彼の数奇な人生が、陽気なラテンのリズムと彼流のジョークで綴られていく。

時に客席の観客に舞台上から話しかけ、そして観客全員を見事に騙すようなジョークの仕掛けでそこにいる人々を笑わせる、、彼の大道芸人・パフォーマーとしてのテクニックと夢物語のような運を引き寄せてきた人柄を目の当たりにする舞台。

 

2011年の演劇祭の際に、SPAC芸術監督の宮城總が語ったエピソードがこちら↓

 

「(ポラスさんは)20歳のころ、着の身着のままで密入国さながらにパリに入り、路上で人形劇をやったりして小金を稼ぎながらの生活を始めます。やがて劇場の裏口を出入りする人たちと仲良くなって、天井桟敷で毎日ピナ・バウシュの舞台を観たりしていたんですね。ある日ピナが「あのコ、毎日あそこにいるわね、ちょっと呼んできなさい」ってことになり(笑)、なんとピナのツアーに同行することに・・・本当にあるんですね、こんな話!」

 

デジタル全盛の今、なぜ演劇を観るのか、そしてやるのか、、、そんな答えがこの舞台に隠されているように思った。