復活した新宿シアタートップスで劇団競泳水着の「グレーな十人の娘」を観た。

 

腐っても新宿(なんて言葉はないが)、新宿に頻繁に通うような劇場がないのは寂しい。小劇場ブーム(80年代)の時は、紀伊國屋ホール、シアタートップス、シアターアプル、シアターモリエールなどに定期的に通っていた(もちろん観たい芝居がかかっていたから)と記憶するのだが、気がつけばその足は下北沢、渋谷、中央線沿線、、さらには横浜などに向く回数が増えていったように思う。その意味でもシアタートップスの再開はとても喜ばしい。

 

で、今回の劇団競泳水着だが、これは完全なるジャケ買いならぬチラシ買い。

デザイン性の高いチラシに惹かれ、さらにシアタートップスでの上演というのにも動かされ、たまには観たことのない劇団の舞台でも観てみようと思い足を運んだ。

 

演劇レビューサイトで同じように女ばかりの家族が殺人事件にまきこまれるミステリー、フランス人ロベール・トマの「8人の女たち」の言及があったが、、ふむふむ、劇団の主宰で作家・演出家(上野友之)は映画好きであるらしいので、その線もありなのかなと思う。(「8人の女たち」は2002年にフランソワ・オゾンの監督で、フランスのトップ女優を集結したミュージカル仕立ての映画が作られていてベルリン映画祭で賞を獲得している。筆者もその映画を観ていたので、観劇中に思い出した。)

 

ミステリーというとハラハラ・ドキドキという修辞句がついてくるものなのだが、、残念ながら、今回の舞台にはそれは当てはまらなかった。舞台上では時間の流れが停滞していて、ミステリーの緊張感がなく、ダラダラとただ時間だけが過ぎていく。

そして謎解きの段階になっても、—意外な展開を見せるのだが—そのムードに変わりはなく、目を見開くような驚きや衝撃はない。

 

狭い舞台に紹介の際に肩書きが違っている女性がたくさん出てくるだけで、それぞれの間に女同士の駆け引きやいがみあい、また深い情愛の感情などをくみ取ることは出来なかった。ストーリー展開を追う中での緊張感が薄く、またこれだけいる女たちの間にも人間関係の緊張が感じられないのは、ひとえにそれぞれの役の造形が浅く表面的なため、結局のところ人間ドラマにまで昇華しきれていなかったからではないだろうか。

 

ミステリーだったら懲りに凝ったミステリー小説を楽しむこともできるわけなので、たとえオチが想像できるようなミステリーだとしても、せっかくの舞台なのだからそこに「人間」が見えなければ、観客としては見どころが掴めないで時間だけが過ぎていく、といった観劇体験になってしまう。