六本木俳優座劇場で演劇集団円による英国の鬼才マーティン・マクドナー2003年の戯曲「ピローマン」の舞台を観た。

 

作家の自国、英国では2003年に上演され多くの賞に輝いた本作、日本ではこれまでに2004年に長塚圭史の演出でパルコ劇場で、2013年に小川絵梨子の演出で下北沢の小劇場・劇で上演されている。

劇場の規模で言うと、今回の演劇集団円版、寺十吾(じつなしさとる)演出による舞台はその中間と言ったところだろうか。

 

2003年に同じくマクドナー作「ウィー・トーマス(原題:The Lieutenant of Inishmore)」を演出した長塚が続けて選んだのが世界初演間もなかったこの「ピローマン」。

 

パルコ劇場というエンタメカラーが色濃い劇場での上演だからか、それともマクドナーのそれまでの作家にない毒気のインパクトゆえか、長塚演出版はどこかの全体主義国家(ソ連のような)で起きている”とんでもなく危ない話””ナンセンスブラックコメディー”といった雰囲気を持った演出で、現実というよりは悪夢のようなばかばかしくも怖い話として創られていた。

 

その”エンタメ”舞台に比べると、今回の舞台はリアリズムな演出と円のベテラン俳優陣の演技でストーリーを丁寧に立体化したナンセンスブラックコメディーに仕上がっていた。

衝撃度が和らいだ分、逆に戯曲の中身がきちんと伝わってきて、恥ずかしながら「なるほど〜、こういった話だったのね」と新たに発見することも多くあった。

 

こちらが当時の劇評↓

 

 

 

残念ながら小川演出版は観れていない—当時、観ようと試みたのだが評判になっていてチケットを入手できず断念—のだがこちらの劇評を参照するところ、今回の円の舞台に近い、とてもブラックなお話というものだったように推測する。

 

ちなみに英国のナショナルシアターの舞台の評などを読むと、どうやら長塚版、そして小川版・寺十版のどちらにも似た点があり、そして違う点があったようだ。

暗くて恐ろしい話であるのだが、随所で大爆笑が起きていたようなのだ。

もしかしたらこの「大爆笑」のツボに関してはお国柄、その国のユーモアの質の違いが関係あるのかもしれないが。

 

 

 
その中身、作家が警告を発している社会の闇、芸術、芸術家と社会の関係性などに関しては、おそらく見れば見るほど、そして戯曲を読めば読むほど、そのチクリとついた社会批判、世間の通俗性批判などが見つかるのだと思う。
なので、この機会に戯曲をちゃんと読んでみよう、と思う。
 
今回の上演に関しては、そこに時代性、世界情勢のタイミングというものが加味された点も大きかった。
突然勃発した戦争、その理不尽さ、さらには情報操作、そしてそれを受け止める側の覚悟を含め、この劇を今観る意味は大きい。