下北沢シアター711(スズナリのお隣)でプロデューサー綿貫凛のオフィスコットーネのプロデュース公演「サヨナフーピストル連続射殺魔ノリオの青春」を観た。

 

綿貫が追い続け、上演し続けてきた劇作家・演出家で海の事故により48歳の若さでこの世を去った大竹野正典戯曲の上演舞台。没後10年の記念公演として2020年の上演を企画していたところ、コロナ禍で延期ということになり今回のタイミングになったとのこと。

 

副題にあるようにピストル1968年に起きた連続射殺事件の犯人永山則夫(関係のない行きずりの男性4人を射殺し1990年に死刑が確定、97年に死刑が執行された)の生涯をたどり、彼が行き着いた犯罪の元となったもの、そして犯罪後の彼が社会に対して問いかけ残したものを絶妙な演劇的仕掛けで見せていく。演出は文学座所属の松本祐子が担っている。

ちなみにタイトルの「サヨナフ」に関しては、その意味は劇の終末で明かされるので、ここでは謎のままにしておく。

 

アフタートークで綿貫が語っていたのだが、大竹野の作品には時代によって傾向があったようで、初期は別役実のような不条理劇、、そしてその後今回の作品のような実際にあった事件を題材にしたシリーズが続いたとのことだった。

 

冒頭、まさに別役のような不条理感が漂う設定で話が始まっていき、その後はその設定の謎が明かされないまま、主人公永山の生い立ち、事件前の状況がその不条理の原因である男4人によって次々と語られていく。

その状況に困惑していた永山(池下重大)だったが、彼らの話から、そして彼に大きな影響を与えた2人の家族、母親と19歳離れた姉がその場に現れることで、徐々に自らの辛かった不幸な人生を顧みることになり、そして自らが犯した罪に向き合いながら、さらには大きな社会における人間存在の意味について自問自答していくこととなる。

 

そのアフタートークの登壇者、綿貫、松本、そして今回の上演に際してプロデューサーからの依頼でスピンオフ作品、母と姉に焦点を当てたアナザーストーリーを執筆した劇団JACROWの作家、演出家中村ノブアキの3人が声を揃えて言っていたのが、大竹野の戯曲が素晴らしいのもさることながら、題材となっている永山則夫の生涯そのものがものすごく興味を掻き立てるものだったということ。

確かに、テレビや新聞で大々的に報じられたその連続射殺事件、その1点だけでなく、その前(北海道網走での極貧の生い立ち、母親からのネグレクトとも思える家族関係、父親の戦後の没落、そして彼が状況してからの経歴、など)、、そしてその後(獄中、本を読み漁り、独学で手記「無知の涙」を出版しその本がベストセラーとなり、その後も執筆を続け小説「木橋」で文学賞を受賞している。その印税は被害者の遺族へ送られ、さらには世界の貧しい子供たちのために使われるよう託された)、彼の人生全てが少年犯罪を考える、また社会の格差を考える上で大きな布石となったことが、この戯曲を単なる事件簿芝居にしていない大きな理由であると考える。

 

それは彼の死(死刑による)に至るまで関わっていて、アフタートークでチラリと出た話では、一時は彼の贖罪の意思と過酷な生育歴から無期懲役に刑が軽減されたものの、その後死刑が確定。そして日本犯罪史に残る少年犯罪「神戸連続児童殺傷事件」が起きた際にその見せしめとも思えるタイミングで同じく少年犯罪で死刑が確定していた永山の死刑が決行されたとのことだった。

 

永山が自問したように、生まれが人の将来を決定づけるのか、、、理想的な共産主義社会の実現はあり得ないのか、、、罪を犯した個々の人だけを、その人の人格だけをみるのではなく、罪を犯さずには生きられない貧困を生んだ社会をみなければ同じような犯罪を無くすことはできないのでは、、、そして一度罪を犯したものには再生のチャンスは絶対に与えられないのか、、、、そして誰(国家)が死刑を決められるのか。

 

そんな問題提起が、この1時間半の芝居のそこここに隠れている。

主役の池下も良かったが、問題の2人の女性を演じた、母(水野あや)と姉(清水直子)が秀逸。

 

残席はわずかとのことなので、今すぐポチってみては?

 

戦後の貧しかった日本の話、、ではないことは皆さんも気づいていると思うので。