東京芸術劇場でモダンスイマーズの約2年半ぶりの新作舞台「だからビリーは東京で」を観た。

 

年明けから上演していて、およそ1ヶ月におよぶ(日本では)長期公演の中日ぐらいの舞台を観たわけだが、このところ空席がチラホラという公演が多い中でパンパンに満員の客席は期待が充満して活気に満ちていた。幕が開いてからの評判も上々で、おそらくこの好評の中、日を追うごとに満員御礼の日も出てくるのではないかと思われる。

 

コロナ前の前回公演から、コロナを経て初めての作品ということで、今を生きる人々にとって未曽有のパンデミックという状況の間、私たちに何が起きて私たちの中で何が変わったのかをストレートに描いた作品となっていた。

 

***劇場情報サイトより***

 

「とある劇団と、何かを始めようとした若者の話です」蓬莱竜太

 

不測の事態に自分の世界が突然変わる。目指すものがなくなり、向かいたい場所がなくなる。余裕はない。不要、不要、不要。不要の芸術、不要の表現。何かを変えなければならないのか。一月先のことがわからない。かつての世界に戻っているのか、いないのか。世界は突然変わる。その時々で変わる。たどり着いても、また変わる。自分は本当に不要かもしれない。自分は変わらなければならないのか。
表現は、自分は、本当に不要ではないのか。

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(ネタバレ注意)

主人公の青年、凛太朗(名村辰)はひょんことでチケットをもらい観劇したミュージカル「ビリー・エリオット」の主人公がバレエに打ち込む姿、家族が全力で彼の夢を応援する様子に感激し、ほとんど無名の弱小劇場(と推測される)のオーディションを受け団員となり、座付き作家の理解不能な(と、他の団員が形容する)新作舞台の稽古に励む日々をスタートさせる。

彼には妻と別居して一人暮らしの居酒屋を経営する父親(西條義将)がいて、時々アル中の気がある父の様子をみるために父親を訪ねていた。

稽古場に集まるメンバーたちそれぞれにはそれぞれの事情があり、演劇に対する思いもバラバラ、必然的に新作舞台に対する情熱も温度差がかなりある。

そんな折、コロナの流行が始まり、稽古もリモートで状況報告の回に、、各自がそれぞれのコロナ禍生活を送る中でコロナ景気で羽振りが良くなる男、韓国人のボーイフレンドと会えなくなり凛太朗と付き合い始める女の子、家から出られないため鬱々とする女の子、、などなど、これまでは同じような日々を送っていたメンバーたちだがそれぞれの生活にも変化が生じてくる。

 

ある日、劇作家で稽古場の所有者である能見(津村知与支)がメンバーを集め、稽古場が使えなくなる、それに伴い劇団は解散をする、とを告げる。さらに、能見は最後の新作舞台を一緒に作ろう、と提案する。

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と、ストーリーはいたって単純なのだが、さすがに百戦錬磨で長年観客を魅了し続けてきた蓬莱竜太だけあり、話の運び、そこに挟む笑い、テーマのつながりの作り方が上手い。「この人やっぱり上手いな〜」と思わず唸ってしまう。

その巧さの一つとして挙げられるのが、観客ひとりひとりのどこかに刺さるような、様々なコロナによる問題提起がそこここに散りばめられている、という点。観客は舞台で語られるエピソードのどこかにひっかかり、そして舞台に引き込まれて行く。

 

そんな中、個人的に大いに引っかかったのが、

劇団の話、役者を目指す若者の話ということで、そこにある「演劇は不要不急なのか、このコロナの状況下で演劇は必要とされているのか」という問いかけだ。

実のところ、コロナが広まり、一時期演劇上演が停止し劇場が封鎖され、、演劇人たちが手探りでオンライン配信などで何らかの方法で作品を届けようと奮闘していたのを外野から見ていて、、、その後劇場は再開したものの、今だにコロナ禍の影響を負いながら、集客に苦戦したり、上演作品のチョイスに苦悩したり、しているのを目の当たりにする日々の中で、悶々と考え続けたのがこの点だった。

日本は演劇文化を必要なものとして求めているのかどうか??

 

それは劇の前半、コロナが始まる前にもすでに弱小劇団が抱えていた問題—劇団員が月会費を払わないと活動していけない、観客に伝わらないものは舞台に上げる価値があるのか、、大手プロダクションに移りたいと望む女優は自分の劇団の活動を続けていくことが出来ない、この劇の彼らはたまたま自分たちの活動場所(稽古場)を持てているが、普通若者たちの劇団では場所を借りて活動していかなくてはならない、、などなど。。。実のところ、演劇の不要不急問題はここまで遡らなければ、根本のところで解決はしないのではないか、ということ。コロナが起きてその問題が表面に出てきて問われてはいるが、本当はもっとベーシックなところに未解決の問題が山積しているのではないか、という問いだ。

 

コロナになったから、ではなく実のところ諸所の問題の根はすでに存在していたのでは?それがコロナで明るみに出たのだから、今こそその根本のところを考える時なのではないか、ということだ。

 

そうでなくては、「ビリー」のようにロンドンの大舞台で白鳥の湖の主役を張ることは出来ない。

 

舞台の夢の話を実のある話につなげていくために、、そんな出始めの芽もちらほらと仕込まれている芝居だった。

 

最後にキャスティングについて。

新人とも言える名村辰のキャスティングが見事に当たっていた。

蓬莱の前回の舞台にも出ていたようだが、これからの活躍が楽しみだ。