新宿、紀伊国屋ホールで鈴木聡率いるラッパ屋の「コメンテーターズ」を観た。(作・演出 鈴木聡)

 

コロナ禍で職を失った64歳の主人公、普通のおじさんの横ちゃん(おかやまはじめ)が引きこもり気味の息子、悠太(瓜生和成)に教えてもらいながらユーチューバーとなり、その後ひょんなことからバズったことがきっかけで朝のワイドショーのコメンテーターとなったことから起きるドタバタを、笑いと現状社会への風刺を込めて描いた喜劇。

 

何と言っても、朝のワイドショー、そしてそのコメンテーターたちに着目したのには、さすがです鈴木聡さん!と言いたい。

 

コロナでリモートワークが普及する中、通勤時間がなくなった分、朝のワイドショーを観るようになったという人がまわりにも増えていると感じていた。

私自身も作者が当日パンフレットで書いているように、このところ朝のワイドショーが定着した日々を送っている。

 

でもって、その中でお馴染みのコロナ関連のコメンテーター、ゲスト解説者の顔と名前を覚え、またお気に入りのコメンテーターのコメントに一喜一憂したりしている。

確かに限られた時間内に多くの話題を盛り込んだショーでは、その中身とともに、いかに端的に、時間内に新しい視点からの意見を言えるか、その中に数字や朝刊のページの抜粋などを入れられればなおベターなのは観ている側の感覚として —>つまりはワイドショーに適したコメンテーターであるかどうかがその席を長く確保するのには重要だということはよくわかる。

 

劇の大半を占めるそのワイドショーという世界、実態のない「世論」、みんなが納得する落としどころ、やはり実態と言えるのかどうかのマジョリティーというもの、そしてなんとなくその後ろに見え隠れする「大人の事情」的なものを、視聴者の側から新たにテレビ制作側に加わった横ちゃんの「なぜ?」「それはおかしいな?」といった視線を通してコメディ色全開で描いていく。

 

その面白い部分は置いておいて、私が最も興味を持ったのが、最後にテレビの世界を垣間見た横ちゃんが感じた本音を吐露するシーン。

彼はいかに一人一人、自分の意見を持ち、それを隠さず口に出すことが重要であるか、、そして何よりもその判断のもととなる一番重要なことは「家族」である、と訴える。

 

これは私自身、このコロナ禍を通じて痛感したこと。家族、または自分にとって大切な(数人の)人というのが結局は全てであり、その人(こと)を念頭に置いて様々な不確定なことを対処していけばよいという思いに至った。もちろん、世界も日本も現在の社会も大切で、そのため、、、というのはあるとは思うが、まずは自分が立っているその小さな足場をしっかりと固めること。

そこがあってこそ、だと思った。

 

この横ちゃんの言葉には作者思いも込められている、と思う。

そこではっとしたのが、作者と私が同年代で、そろそろ人生のまとめの時期に入るということ。

 

もしかしたら、もっと若い世代の観客などは違った思いを抱いてこの劇を観ていたのかもしれない。