2月23日(金)、TIF(東京国際芸術祭)2007参加作品の「アトミック・サバイバー」を西巣鴨の演劇祭用特設ステージで観た。

開演時間になると、突然普段着の男性が観客席前に現れ、2006年8月14日、早朝に起きた東京都市部大停電の様子について語り始めた。熱帯魚の水槽の電灯が突然消えたので、不審に思い、部屋の外に出てみたら近隣の人々が停電だー、と口々に騒いでいたので、辺り一帯の停電だと気がついたというのである。
続いて、その他数人が同じ日の停電に関する思い出話をした後、舞台後方一面に張られたスクリーンには電飾で明るく浮かび上がる夜の東京の景色が俯瞰で映し出され、また別のモノクロ映像、役場での上司と部下の無気力なミーティングの様子を演じたものが映し出される。それぞれの映像にはドイツの社会主義劇作家ブレヒトの演劇理論本からの一節、とロシアの巨匠チェーホフによる「ワーニャ伯父さん」からの一部が重ねられている。

その後は、舞台中央に設置された、小学生用の教材のような、紙で作られた原子力発電所の模型を使って、核燃料による発電の仕組みが役者達によって説明されていく。
舞台にはその説明の様子をビデオで撮影するカメラマンが現れ、同時にその写した映像が後方のスクリーンに映し出される演出になっている。
XX原発の企業宣伝ビデオの形式をとっており、社会科見学の際に見せられるような、あるいは教育チャンネルで子供向けに`工場の仕事の流れ’と銘打って流すような、そんな光景が展開されていく。舞台中央で、進行役の女性がマイクを片手に笑みをつくりながら、平易な言葉で原発の仕組みを説明していく様子も絶えずスクリーンに映し出される。

基本的にはこの企業ビデオシリーズ舞台の連続と時たま挿入される映像との組み合わせで舞台は構成されている。

この、一見、至極単純に見える、劇作品には恐ろしい真実が盛込まれていた。

一切の虚構を排除した、レポート形式の劇からは、原発の闇がはっきりと浮かび上がってきた。

背筋が凍る、既成事実を読み上げる(現在の日本における原発は55基、さらに将来13基の増設が決まっている)一方で、笑うに笑えないはずなのに、あまりにおそまつで笑ってしまう、発電所内のエピソードが感情を押し殺したドキュドラマ形式で展開していく。

そのエピソードの一例だが、、
*いろいろな行程での確認事項は実は人間の目による`目’確認がほとんどである
*核処理施設内の作業は適した通行証を有した担当作業員のみが行なうことになっているはずなのだが、、人が足りない場合は他の作業にも駆り出される
*施設内では、当然のことながら放射能に対する防護服を着ての作業となっているのだが、時にはマスクを外してしまったり、また危険値を知らせるアラームが鳴っても、あと少しだからと作業を続けてしまう場合もある

などなど、、これらのエピソードは実際に施設に作業員として雇われていた、ジャーナリストによる潜入レポートからとっているので、本当のことらしい。
ちょっと現場サイトでのあまりの鈍感さに驚いてしまうのだが、そう言えば、原発事故が起きた際にバケツを使って処理しようとしていたなんてニュースもあったな、、と納得してしまう。

今回の芝居の構成・演出をした阿部初美さんは、実際に現場の青森県、六ヶ所村へ出向いて現地の声を聞き、見て、「原発の問題があまりに多重的な要素を孕んでいる事が分かりました。ここから見えてきたのは、多くのさまざまな犠牲の上になりたつ、日本の資本主義の構造です。」とプログラムの中でコメントしている。

確かに、劇中でも紹介されていたように、六ヶ所村は原発によって成り立っているので、住民達は原発が無くなってもらってはこまるのだろうが、それと、原発の危険性の問題とは別。

地球温暖化による海水の上昇で、あと100年以内に日本が沈没してしまうなら、それで終わりでかまわないのかもしれないが、、自分たちの子孫が放射能汚染だらけの野菜を食べ、水を飲み、、奇形児が産まれ続けてしまうようになるのを黙って見ている法はない。。とやはり強く感じた。

まず、クリスマスイルミネーション、、いりませんよね。新宿や渋谷のネオン、ディズニーランドもいりません。
便利にさらに明るく、明るく、、の世の中よりも、やっぱり安全な世の中の方が良いのではないでしょうか?