土曜日の朝(3/10)、名古屋駅できしめんを食べ、東京へ戻る。

今日はTIF(東京国際劇術祭)関連の2本立て。

昼は新宿パークタワーホールにてウズベキスタンからの、日本演劇ファン待望の来日公演、マーク・ヴァイル演出、イルホルム劇場による「コーランに倣いて」を観る。

例のごとく、会場が思ったよりも駅から遠く(いつも余裕をもって向かっているはずなのに、この劇場が2駅の中間点にあり、、いつもあせるのです)、10分前に劇場に着くと、そこにはチケットを求めての長蛇の列。

幸いにして、ご招待をいただいていたため、すぐに会場に入る事が出来たが、当然の事ながらその後もしばらく会場整理のため、時間を有し、遅れて開幕。結局、通路に補助座布団を出ほどの盛況ぶりだった。

芝居というか、芝居、アラビア語朗読、ダンス、ライブミュージック、映像アートの総合アート舞台は、自由な発想による遊び心満載の洗練された舞台だった。
プーシキンが綴る言葉が劇中、あらゆる時代、世界へ向けた啓示のように響き渡る。その中を熟練俳優たちが嘘とも真実ともとれる、俗と高みの中間を演じきる。
「コーラン」という題材だけに、各地で必要以上の警戒と政治的期待を問いかけられ続けてきたが、これはプーシキンが自身のアイデンティティに基づき倣い綴った言葉を、現代の私たちが読み解き、世界へ向けて人間の普遍性を示した演劇、現代にはびこる情報過多による偏見を暴く、今の私たちを表現する演劇です。
と、にこやかに語っていたヴァイル氏のぶれない姿勢が同劇団のソ連邦初の独立劇団という快挙を実現させた源であろう。
嘘のメッキははがれるのです。
確固とした真実とそれを信じる力が、やはり大事なのですねー。

その後、会場で会った青木道子(大先輩)の破天荒話に立ち去りがたく、ぐずぐずしていたら夜、西すがもでの公演に、またもやぎりぎりで到着する。

夜はTIFのリージョナルシアターシリーズ、若手育成プログラムの一環、北海道を拠点に活躍する演出家、北川徹氏、作・演出による「浮力」を観る。

会場へ入ると、いつもとは違った方向へ通される。
舞台を通過して高床式の舞台から観客席を一度見回してから観客席へ着くという演出。
観客との距離、舞台の高さを実感する。

体育館を利用した会場には、先ほども触れたように高床式の簡素な舞台が作られ、その上にはまさにとなりの校舎から持ってきたような学校の机と椅子が並んでいる。
会場では状況説明ー温暖化により日本が沈没し、日本は無数の海面から突起した島々からなる集合国家形態へと変遷を成しているーとの説明あり。
そこへスーツ姿の女性が登場し、テニスコートの審判台のようなところから4つの机に着席した男達へマイクを通して話しかける。
そこは、近未来、東京、豊島区の架空の場所。今から、地球脱出計画推進のための宇宙調査隊の`公務員’を選ぶ面接が行なわれるという。
集まっているのは、微妙に年が違うー20、30、30代ーしかしながら、ごくごく普通の市民達。
通常、想像されるような宇宙飛行士=エリートとは縁の無さそうな人々である。

志望動機を話し始める人々。そして、徐々に各人のいたって叙情的な個人史へと移行していく。

この突飛おしも無い設定、展開がそれぞれのエピソードを丁寧に描く事によって、見事に一つの劇、メッセージとして成立いく。
役者ー燐光群所属の猪熊恒和、下総源太郎らの強力な戦力を得て、一人ひとりの言葉が普遍的な意味を持っていく。
小さなエピソードを積み上げて、上質の台詞を選出し、出来上がったものはとてつもなく大きな、そして今のわれわれにごくごく近いところにある問題を提起する、珠玉の舞台となった。



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