鴻巣市の勝願寺にヒトツバタゴ(ナンジャモンジャ)を観に行ったのは何時だったか……大分前になりますが、ブロ友さんの最近のブログに登場しているので、アッもう花の時かと思い観に行って来ました。
仁王門
前にも書いたのですが
勝願寺は、16世紀末期に清巌上人によって中興され(創建は諸説あり)、
2世住職となった円誉不残上人は学僧の誉れ高く、
慶長11年(1606)に後陽成(ごようぜい)天皇から、
僧としては最高位の紫衣(しえ)を与えられました。
名声も高まり、壇林(だんりん:現在の大学のようなもの)
として隆盛し、寛文年間(1661~1673)には浄土宗
関東十八壇林の一つとなりました。
鷹狩りの際に勝願寺を訪れた徳川家康は、中興二世
円誉不残上人に深く感銘を受けて帰依し、三つ葉葵紋使用を
許可したということです。
境内の木々はすっかり青葉になりました。
本堂
先ず参拝を済ませて
ヒトツバタゴは?
遠目にはまだ花が咲いているように見えますが~
近くに寄ると、あぁ~
大雨があったり、大風が吹いたりと花には厳しい天候だったから
無理もないですね。
この辺はまだ花の面影が感じられますね。
一週間ぐらい遅かったような~ もうあの純白な花は見られません。
こんなに大きいのは他では見かけないので、今年は残念でした。
本堂の屋根には三つ葉葵の御紋が、当時の威勢が偲ばれますね。
実はこの木と並んでセンダンの大きな木もあるのですよ。
こちらのお寺は栴檀林ですからぴったりですね。
分かり難いですが、花 咲いていますよ~!
光の射し具合が良くなくて、写りがあまり良くない様な、角度を変えてみましょうか~
どこが良いかな。
この辺が良い感じですね。
ヒトツバタゴは残念でしたが、センダンの花は満開で見頃でした。
他にもこんな花が咲いていましたよ。
カルミア
これは~茎を見るとウツギのような気もしますが、初めて見る花です。
当寺の墓所には徳川家康縁の人々が祀られています。
本堂の脇にその場所がありますので、参拝して次の訪問場所に向かいましょう。
信州小諸城主・仙石秀久墓
小松姫の墓
小松姫は徳川四天王の一人・本田忠勝の娘でしたが、家康の養女となり真田信之に嫁しました。
案内板にあるようなご縁で当寺に分骨されていますが、病気療養のため江戸から草津温泉に向かう途中、この地で没したということですよ。
勝願寺の東方200m足らずの所を旧五街道の一つ中山道が通っています。
真田信重、信重室の墓
※他に、江戸を整備し、繁栄の礎を築いた関東郡代の伊奈忠次と息子の忠政の墓(埼玉県指定文化財)、戦国武将の牧野康成の一族の墓所があります。
鴻巣御殿跡地に建つ日本一小さな東照宮
勝願寺界隈の地図
これから徳川家康が鷹狩などで鴻巣を訪れた際宿泊所とした鴻巣御殿跡を訪ねます。
その跡地には日本一小さな東照宮(祠)が建てられています。
↑地図では勝願寺と鴻巣駅の間ぐらいに位置します。
その前に、御成橋に行ってみましょう。
徳川家康が当地へたびたび遊猟(鷹狩)に訪れた際、荒川を渡るのに渡船場に臨時に設けられた舟橋を渡ったことに因み御成橋と名付けられたということですよ。
御成橋&荒川(当時の川筋と変わっているそうです)
この川を向こう岸へ渡るのに舟を並べ渡ったということですね。
現在この地点は、荒川の川幅日本一(2537m)を誇り、橋長:804.80mの御成橋が架けられています。
場所を確認したところで、家康が通ったであろう道を想像して鴻巣御殿跡(現・東照宮)へ行ってみます。
この辺りは鴻巣市本町5丁目、良く見ると中程に青い幟のような物が見えます。
あそこかしら?
(右側手前のあんこ屋さんも気になります)
御成町 東照宮と染められた幟の脇に、細い道のような物があるので覗いてみると奥にまた幟が見えました。
ここですね、ここが参道のようですよ。
現在は本町ですが以前は御成町といったのかも知れません。
周りはすっかり住宅地です。
鴻巣駅から徒歩5分ぐらいの立地ですから。
注連縄に触れないよう屈んで鳥居を潜りました。
日本一小さな東照宮です
現地案内板です
江戸図屏風に描き残されていたからこそ分かる鴻巣御殿の様子、感激ですね。
~~~ 番外 ~~~
帰途、荒井製餡さんに立ち寄りましたら餡の他に羊羹やこのような菓子もありました。
自家製餡で作ったあんこ玉、きな粉がまぶしてあるあんこ玉は初めて食べました。
シンプルですが上品な優しいお味でした。
キャラメルはラムレーズン入りで、珍しかったです。
撮影:2024.5.10(金)
今日は雨降りの月曜日、重ね着してそれでも寒い時は
ヒーターを点けて過ごしています。
皆さんの地方は如何ですか?
いつもお立ち寄りいただき有難うございます。