稚児行列を見送ってから川越の三芳野神社参拝に寄りました。

平成277月から修復工事が行われ、暫く覆いを掛けられていた社殿が約4年の歳月をかけて昨年完成し美しい姿を現しました。

 

修復成った三芳野神社

朱漆や彫刻の彩色がきれいに塗り直され、江戸時代再興当時の美しい姿によみがえりました。

祭神は素戔嗚尊・奇稲田姫命。菅原道真公・品陀和氣命を配祀する。

 

西側より

 

三芳野神社と伊勢物語、童歌・通りゃんせ

神社創建は平安時代の大同年間(806810)と伝えられ、三芳野18郷の総社として崇敬を集めました。太田道灌は川越城築城にあたって当社を鎮守とし、江戸時代以降は徳川幕府直営の社として庇護を受けました。

川越城築城により天神曲輪に位置することになった社は「お城の天神さま」と呼ばれました。 城内にあることから一般の参詣ができなくなったものの、信仰が篤いことから時間を区切って参詣することが認められた。一般の参詣客に紛れて密偵が城内に入り込むことをさけるため、帰りの参詣客は警護の者によって厳しく調べられた。 そのことから「行きはよいよい、帰りは怖い……」と川越城内の子女の間で唄われるようになり、それが城下に流れ、武士や僧侶、町人たちによって江戸へ運ばれ、やがて全国へ広まって行った。童歌『とおりゃんせ』の誕生秘話です。

 

細道の参詣道途中にある案内板

 

川越城図↓は川越の地域情報サイト カワゴエールからお借りしました。

↑図でも分かりますが、何しろ天神様は本丸に近い場所ガードが固いのも肯けますね。

三芳野という社名は在原業平の『伊勢物語』に出てくる「入間の郡三芳野の里」という地名が川越の旧地名であったことによるそうですよ。

 

三芳野神社正面参道袂にある石碑。

 

石碑には『伊勢物語』の東下りの段で武蔵野国までさまよい来た時に作った歌が刻されています。

 

我が方に 寄ると鳴くなる 

三芳野の田面の雁を

いつかわすれむ

 

同じく三芳野といわれていた坂戸市にも伊勢物語ゆかりの地として歌碑が残されています。

 

天神様の細道です。

江戸時代より少し変化しているそうですが歩いてみます。

 

あれ!いつの間にかニャンコ達が~

 

 

天神様と言えば梅、参道途中に梅の植栽もあるのですがまだチラホラです。

それでも中ほどにあった白梅が一足早く開花していました。

 

白梅が青空に映えて綺麗ですね~

 

 

画面左手が道を隔てて川越城本丸御殿のある区域になります。

周りからお囃子の音が聞こえると思いましたら、社務所で獅子舞が行われていました。

 

  

 

何だかウキウキした気分で三芳野神社を後にしました。

撮影:2020.2.2