という地名の書かれた信号機の下を通る。
「阿久原」何かで読んだことがあると思い、ネットで調べたことが
ありました。
それによると、阿久原牧は都に献上する馬の牧で、承平3年(933)
それまで朱雀院秩父牧であった秩父郡石田牧と児玉郡阿久原牧を
勅使牧としたことが知られています。と載っていました。
あぁ~そうなんだ!と思い、その時はそれで納得したのですが
やはり気になるので確かめてきました。
駒形神社には「阿久原牧阯」の石碑が建てられているそうです。
(この画像は帰りがけに撮ったものです)
牧推定地の北にあたるようでね、
駒形稲荷神社と「阿久原牧」の碑があります。
埼玉県指定史跡 阿久原牧
この地は元は神泉村だったのですね~
現在は神川町に合併されましたので消滅しました。
碑の場所に隣接した小山には駒形稲荷神社があります。
後に水戸光圀(黄門様)がこの地を訪れた際
歌を詠まれたそうで歌碑が建てられているという事です。
と読めます
上ってみましょう。
阿久原に遠峯維行のあとを訪ねて 源 光圀
遠峯維行とは?
後に児玉惟行と呼ばれた人で、阿久原官牧に朝廷よりの
当時は、有道 遠峰(峯) 維行(ありみち こだま これゆき)
と称した。しかし、任務完了後も児玉郡にとどまり、
そのまま、地方豪族と化したと伝えられている。(官営牧場と
馬の管理は武士団の基盤となっていった)。
そして、武蔵国の武士団(武蔵七党)児玉党の党祖となった。
(ウィキペディア参考)
阿久原の地は東に御嶽山、南に横隈山などの山々に囲まれ、
ここのようです
「阿久原牧阯」と読めるようですので拡大してみます。
草ぼうぼうで入れません、蛇でも出そうで・・・
ここに書いてきたことや建碑の由来など刻されています。
麓の方とも結んでいます元からある古い道のような気がします。
昔はこんな土地が広がっていたのでしょうか。
道路脇の小川
鉄分を含んだ水かしら?!
言われています。
先年神流湖を訪ねた折、途中縄文時代の再現住居を見学したことが
ありましたけど、この辺りも縄文時代から人々の営みがある土地柄
で、古い歴史を有する地域だったことを再認識しました。
ここまで来たらヤマキ醸造は目と鼻の先、昼食に行きましょうか。