福沢桃介は電力王と言われていることだけは存じていましたが
数年前岐阜の方に旅し木曽川沿いを走っている時、随分この
方の名前を目にしました。
そこで生い立ちなどを少し調べましたら、意外な事が分かって
是非訪ねなくてはと思っていたのです。
出生から福沢姓になるまで
福澤桃介、旧名岩崎桃介は、慶應4年6月25日(明治元年、
新暦:1868年8月13日)、武蔵国横見郡荒子村・現在の
埼玉県比企郡吉見町荒子に生まれた。
父は岩崎紀一、母はサダ。桃介は男女各3人の6人兄弟の
次男であった。 父の紀一は北足立郡原市町(現・上尾市)
の名主の家の出身で、岩崎の本家も代々名主を務める家柄で
あったが、紀一が婿養子に入ったサダの家(桃介の生家)は
末端の分家で、少しの土地を持つのみの水呑百姓であった。
農業だけでは生活できないため生家は荒子村で雑貨や荒物を
扱う商いも手がけていたが桃介と2人の妹が生まれたところで
川越町(現・川越市)に移り住み、ここで提灯屋を開業する。
記述は全くネットの受け売りですが、生誕の地、吉見町荒子には
縁の碑がありますので訪ねました。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190728/11/nobara201427/5d/9e/j/o0480036014514599096.jpg?caw=800)
この道は東松山方面に行くとき何度か通っているのに
全然気が付きませんでした。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190728/11/nobara201427/1a/2d/j/o0360048014514599108.jpg?caw=800)
買うのも大変なので裸足で小学校へ通学したということですが
成績は非常に優秀であったということです。
1878年(明治11年)川越に第八十五国立銀行が設立されると、
父紀一が提灯屋を廃業して同銀行に勤めるようになり
家計はやや楽になった。
それから川越中学へ進み、中学校を出ると、政治家を志し上京し
福澤諭吉が開いている「慶應義塾」へと入学した。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190728/11/nobara201427/a9/eb/j/o0505040014514599114.jpg?caw=800)
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190728/11/nobara201427/ef/4c/j/o1024076814514599125.jpg?caw=800)
岩崎桃介が通う慶應義塾では、しばしば運動会が開かれ、評判を
集めていた。桃介は駆け足が得意であったという。この運動会は
福澤諭吉も妻や娘を連れて見物しており、学生の運動振りを
見ながら娘の婿選びの機会になっていると噂されていた。その
運動会で桃介の姿が諭吉の妻・錦の目に留まる。長女里の賛同も
あって諭吉も乗気になり、桃介は房の結婚相手に抜擢された。
婿養子に誘い、桃介の側もこれを承諾し養子入りが決定した。
入ったところにありますので訪ねてみます。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190728/11/nobara201427/15/eb/j/o0480036014514599134.jpg?caw=800)
県道33号線
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190728/11/nobara201427/84/1a/j/o0480036014514599143.jpg?caw=800)
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190728/11/nobara201427/ba/e9/j/o0480036014514599151.jpg?caw=800)
左後方の建物が荒子下公民館
荒子下公民館と
道を隔てた墓地の一角にその碑はありました。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190728/11/nobara201427/48/4d/j/o0360048014514599157.jpg?caw=800)
電力王 福沢桃介生誕地の碑
住所 埼玉県比企郡吉見町荒子695
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190728/11/nobara201427/8b/0c/j/o0360048014514599165.jpg?caw=800)
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190728/11/nobara201427/85/cc/j/o0480035914514599203.jpg?caw=800)
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190728/11/nobara201427/49/64/j/o0480036014514599209.jpg?caw=800)
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190728/11/nobara201427/45/b8/j/o0480036014514599216.jpg?caw=800)
ここ、比企郡吉見町は古い時代の歴史には横渟(よこぬ)屯倉
として登場する土地柄です。(武蔵国造の乱)
吉見二郎、男衾三郎兄弟のお話ですが、ここ吉見町は
兄・吉見二郎の出身地とされています。
弟・男衾三郎の出身地・男衾は大里郡寄居町にあった地名で
どちらも武蔵国の地名が人物名に付されています。
撮影:2018.10.20
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