かなり前から温めていた旅のプランがあった。そこは下伊那郡阿智村。
木曽山脈を中央自動車道恵那山トンネルが貫通している辺りです。
2012年8月お盆直前の頃の写真です。
 
 
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はゝき木館
問い合わせをした際、大変良く応対してくださったので、お会いするのを
楽しみに、そして、改めて予備知識収集のために立ち寄る。
覚えていてくださったのは嬉しかった。
 
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神坂(みさか)神社
創建はいつ頃か分からないという。古代東山道のすぐ脇に鎮座している。
日本武尊の旧跡でもある。
 
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案内板より
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神坂神社より6.8Km約3時間で神坂峠へ到着
ハイカーがよく訪れるそうです。
 
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万葉歌碑・巻14ー3399 東歌
犬養孝先生の揮毫で、万葉仮名で刻まれ、ご助言で副碑も併設された。
歌碑の序幕はH6年10月30日、西宮市から犬養先生をお招きして、
行われた。
良い場所に建ててくれたと大変ご満悦であったということです。
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信濃路は今の墾り道
刈りばねに
足踏ましむな沓はけわが背
 
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万葉歌碑・巻20-4403 主帳埴科郡神人部子忍男(みわひとべのこおしお
 
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ちはやふる神の御坂に
幣まつり
斎ふ命は母父(おもちち)がため
 
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神社から坂道を下ること1Km、源氏物語「帚木」の巻に縁の
園原の里へ。
 
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帚木への登り口
 
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登り口案内板 ゆっくり歩いても10分で行ける
 
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S39年9月の台風で折れてしまい数メートルの幹を残すのみ
 
 
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古代、都と多賀城を結んだ東山道、その旅路の最大の難所神坂峠
(1,576m)を神に祈りながら必死の思いで下りてきて、
信州初めての村里が阿智村であった。
 
古代の英雄が通り、官人、武人が通り、遠く九州まで遣られる防人や
税を都に運ぶ人たちも通った。陸奥の国の砂金もこの道を通り、
大仏の鍍金に供された。
 
伝教大師最澄は峠越えの艱難を救済するため布施屋・広拯院を
建てた。その跡地に現在は広拯院月見堂が建っている。
 
今回は古代の官道と『万葉集』『源氏物語』について見てみましたが、
いろいろ興味は尽きませんね。
本当は神坂峠に行って見たかったのです、(ロープウェイとリフトを
乗り継げば行けるそうです)が…。天候が安定している時期が
良いそうです。やはり今も難所なんですね。