みなさん、こんにちは。ようこそ「えつこの部屋」へ。
秋は読書の秋と言われますが、瞑想の秋でもありますね。
その瞑想を深めるための機会として、今日はマニーシャの週末のワークショプをご案内しますね。
和尚アートユニティのコースでは、オーラソーマ、ラハシャのカウンセリングスキル、ユニティインスティチュートなどの学びを通して、瞑想を紹介しています。
コースのはじまりはいつも瞑想からです。
OSHOは瞑想について、次のように語っています。
「『瞑想』(meditation)という言葉は『薬』(medicine)という言葉と同じ語源に由来している。薬は肉体を癒すものであり、瞑想は魂を癒すものだ。」と。
マニーシャは、そのOSHOの秘書として16年間身近に過ごし、OSHOの講話などを編集し、OSHOについての本も4冊出版しています。
日本でもOSHOとの体験や瞑想の体験について書かれた「和尚との至高の瞬間」という本が訳されています。
今年の3月に OEJ Books より出版されたOSHOの本「死について 41の答え」は、OSHOの650冊に及ぶ本のなかからマニーシャによって編集された本でもあります。
原題は、 "The Art of Living and Dying"(「生きることと 死ぬことのアート」)。
この本は彼女のライフワークである、「サマサティヴィジョン」の一貫として編集された本とも言えるでしょう。
マニーシャはサマサティヴィジョンについて次のように述べています。
「『サマサティ」とは『正念』とも訳され、『正しい想起』を意味します。『正しい想起』とは、私たちの本質が身体でも心でもない、その両方を超えた気づき、意識そのものであることを想い起こす、ということです。やって来ては去る、あらゆる現象―そこには思考や感情、身体の感覚も含まれます―を見守る、気づきそのものであることに気づく。これこそが、瞑想の本質なのです。
もし、死は不可避だと分かっていれば、そして、死が恐怖や不安をもたらすなら、その事実を受け入れ、それが何を意味するのかを、『今』知ったほうがよくないでしょうか? 息を引き取る直前までそれを延期するのは、飛行機に乗ってから、パラシュートの布を織るようなもの、あるいは、産気づいてから、マタニティクラスを受けようとするようなものだと思いませんか?
興味深いことに、『死』というテーマに深く足を踏み入れれば踏み入れるほど、私たちはいのちを強烈に感じます。死を目前にした多くの人々が、自伝を書き残したり、出版したりしています。「そう、死が近づいている」と知るとき、生の比重は、とてつもなく大きくなるのです。
こうも言えるかもしれません。もし、限られた時間しか残されていないと分かったら、あなたは、今まで決してしたことがないほど大切に、濃密にその時間を生きることになるでしょう、と。
もう長くはない、いつ終わりが来てもおかしくないと分かったら、あなたは、「今ここ」へと連れ戻されます。時は凝縮し、くつろぎの中で、あなたは今までより大きな自己感覚を手にすることでしょう。あなたは、今まで決して試みたことがないほど情熱的に愛し、強烈に生きるようになるのです。」
今回のマニーシャの週末のワークショップは瞑想、そして生きることと死ぬことについての新しいヴィジョンを学ぶとてもよい機会です。
生と死はコインの裏表です。これらのワークショップは死をテーマにしていますが、同時にこの生をトータルに素晴らしい人生にしていくためのものでもあります。
秋の週末を瞑想で深めてみませんか?
<おまけ>
あるひとからマニーシャのことを、
「生きている間に後姿だけでも見ておいた方がいいよ。本当に、美しいひとだから。」と言われました。
マニーシャは、OSHOの講話の質問係をしていた女性です。
その声はとても美しくて、宇宙船への案内アナウンスのように感じられます。
(OEJBooksのブログにある動画で、マニーシャの声を聴くことができますよ。)
また、別のOEJBooksのブログでは、「ひと目OSHOの写真を見ただけで会いに行くのは、たいていは女性で、何年もOSHOの本を読むだけで終ってしまうのはその大半が男性です。」とあります。
美しいひと、美しい生き方をしているマニーシャに会うのを、たのしみにしています。
10/1(木)は、ナイトイベントもあるので、ぜひご参加くださいね。
ではね。
えつこ
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