【朝日新聞 2018年5月29日 訃報】
田村正毅(たむら・まさき)さん / 映画撮影監督
5月23日、肺炎で死去、79歳。
成田闘争を追った小川紳介監督のドキュメンタリー映画「三里塚」シリーズの撮影を担当。劇映画の代表作に「さらば愛しき大地」「萌の朱雀」
* * *
対談者:河瀬直美さん(監督) × 宇田川 幸洋さん(映画評論家)
雑誌『キネマ旬報』第1238号 1997年11月上旬号 p.86 - 89 より抜粋
宇田川さん:河瀬さんが最初に8ミリを撮られるようになったのは、いつ頃で、どの様なきっかけだったのでしょうか。
河瀬さん:1988年です。テレビ番組制作やイベント企画といった職業を目指して、専門学校の放送映画学科に入ったのです。そこで8ミリ・フィルムの実習がありまして。とにかく街に出て、何でも構わないから好きなものを撮って来いって言われて。それをやって見て、普段は通り過ぎて行くような風景を捉える事で、自分の世界を作れる事を実感しましたね。
宇田川:劇映画は『萌の朱雀』が初めてなんですか?
河瀬:長編では初めてです。短編は学生時代にゼミがそういうコースだったので。『パパのソフトクリーム』という作品では、シナリオがありましたし、役者もいました。
宇田川:これまでの撮影は、全て御自分でキャメラを?
河瀬:はい、私です。
宇田川:今回の『萌の朱雀』では、田村正毅さんにキャメラを任せたという事で、勝手が違ったという様な事はありませんでしたか?
河瀬:矢張り同じではなかったですね。あるキャメラマンが私の作品の中に存在する。私以外の人が存在するっていうことが、自分にとって冒険だったのです。ですので慎重に田村さんとの話し合いを重ねました。今までは、対象と私、1対1の関係ですけど、そこにキャメラマンが入るとトライアングルになる訳で。1年ぐらい迷って、やっとお願いできたぐらいなのです。ある時に、「私が形にしたい画があるとすると、それを田村さんは100パーセント再現して下さいますか」といった質問をしたのですね。すると田村さんは「それは出来ない」と。それは私のやりたい事と、田村さんのキャメラというものが存在するから、そこで三角形がきっちりと出来て、新しい力、新しい画がそこに生まれるという意味合いでの答だったので。それは私にとって凄く期待していた答だったので、一緒にやろうという事になったのですね。
宇田川:実際の現場では、そのトライアングルを作る作業は、すんなりと行きましたか?
河瀬:最初は凄く難しかったですね。私は感覚的な画を撮る方なので、それを言葉に替えて伝えなくてはいけないというのも、かなり戸惑いました。最初はキャメラを覗いてフレームを確認していたのですが、、何日かして一切覗かなくなりました。つまり、私は演技者があたかも生きているかのような場所を作り上げる事に専心して、それを田村さんがちゃんと写し取ってくれるという信頼の下で、やり直して見たのですね。そうしたら凄く良くなったのです。
宇田川:それは、覗くとかえって …‥ 。
河瀬:かえって何か、私と田村さんの意見の共有した部分でしか、画が上がらないような気がしたのです。
宇田川:一番最後に、お婆さんが歌を唄って亡くなられる訳ですが。そこではクレーンでキャメラが上がって行きます、魂が上って行くみたいに。神らしい視線を感じる素晴らしいシーンで。あそこのお婆さんの演技は、プロの女優でも中々ああは出来ない。
河瀬:私も横で見ていて、本当に何かが憑いちゃったのかなと。田村さんとクレーンの方との息もピッタリと合っていて。田村さんの心の揺れを、凄く上手く再現するクレーンの人が来られたのです。「僕は何時もこの人なんだ」みたいな事を仰ってましたね。
河瀬直美 監督 / 萌の朱雀 1996 奈良県 西吉野村(現・五條市)
撮影:田村正毅
音楽:茂野雅道
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