欧米の思想の基礎は自然科学である。
それで一度よくこれを検討しよう。
自然科学の尖端は素粒子論である。
それで一度そのいう所をよく聞いてみよう。
素粒子論はこういっている。
物質も、質量の無い光も、電気も、自然はみな素粒子によって構成せられている。
素粒子には種類が多い。
しかし、これを安定な素粒子群と、不安定な素粒子群とに大別することが出来る。
不安定な素粒子群の素粒子は非常に寿命が短い。
現われてはすぐまた消えて行ってしまっている。
その寿命は、最も普通に見る不安定な素粒子についていえば、百億分の1秒ぐらい。
こんなに短命であるが、非常に早く走っているから、その百億分の1秒の生涯の間に、安定な素粒子群の代表である電子1億個を歴訪する。
なお、不安定な素粒子の中にも質量をもっているものがある。
これは一体どういうことだろう。
まず、不安定な素粒子の中にも質量を持っているものがあるのだったら、物質という質量の一定不変のものは存在しない。
人は昔から自然はじっと存在するものと思い、人はその一部である土地の上に住んでいるものと思って来た。
しかし、よく調べてみれば、自然の一半である不安定な素粒子は、現われては又すぐ消えて行ってしまっている。
それならば存在ではなくて映像すなわちテレビである。
他半はどうだろう。
安定な素粒子の代表である電子を取って考えてみると、最も普通に見る不安定な素粒子は百億分の1秒の間に一億個の素粒子を歴訪する。
それならば電子は絶えず不安定な素粒子の訪問を受けている。
それならば安定しているのはその外見だけであって、内容は絶えず変わっているであろう。
それならば内容はやはり映像であろう。
それならば自然はその変わり方が安定性を持った映像である。
自然が映像ならば自分とは一体何であろう。
かようにこの問題が新しい脚光を浴びて登場して来た。
これに対して次のように想定しよう。
茶の間に普通の(人工の)テレビがあって、いま放送中であって、自分はそれに見入っていると思って欲しい。
次にこのテレビが、造化が人に放送し続けている "自然" というテレビだと思って欲しい。
自分はそのテレビの一人の登場人物を自分だと思って一喜一憂し、手に汗を握る。
これが人生である。
そしてその放送が終れば一巻の終りである。
♫ Acrophobia 2011
人はこれで人生が終ったと思うのであるが、終るのはテレビの登場人物の人生だけであって、真の自分はもとのままに茶の間の畳に座っている。
やがてまた次の放送が始まる。
人生もまたその通りであって、真の自分は死ぬものではないのである。
かように人は不死である。
この不死の人々が大昔から一緒に一つ心にとけあって住んでいる。
それが日本民族である。
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督
/ 映画『ブンミおじさんの森』 2010 ラストシークエンス
私達は明治以後、西洋の誤った思想にかぶれて、この事が解らなくなってしまっていたのである。
どうか1日も速く目覚めて、日本本来の文化を調べ、その歴史を明からめ、今や人類はその無知のために亡びようとしているように見えるのであるが、そして造化は日本民族にこれを救う使命を課しているように思えるのであるが、日本民族はこの使命のために結束して立ち上がって欲しいと思うのである。
ー 岡 潔 (おか・きよし)/ 『日本民族』新装版のまえがき 1975年5月
I'd love to turn you on …
東洋派ジョン・レノン(中間部はポール)永遠のマスターピース
♫ A Day In The Life 1967
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