姪っ子が置いて行ったハムスター

今朝ひっそりと死んでいた

 

陽のあたる庭の一隅に埋めた

 

声を上げない小さきものたち

いつだって権力の犠牲となる

 

 

 

3月25日、空爆二日目の夜。

 

ベオグラード郊外の我が家に近い空港の辺りで、巡航ミサイルの炸裂音が響いた。

 

それから沈黙がやって来る。

 

私は震えていた。

 

窓を開けるとバルコニーにヒヤシンスがもの憂げに匂い、犬たちが月に吠えている。

 

 

 

 

 

 

長い夜が明けた。

 

人とは何か … 。答えが正しければ正しいほど、新しい問いを生むこの永劫の命題。巨大な金管楽器が不協和音を奏で始めた今もなお、その答えを探し続ける他はない。

 

この世には、どんなに強い力にも壊しきれないものが在る。それを守るために、人には声と沈黙とが与えられているのだと、私は春に告げられたのだった。

 

死の香を含んだ春の静けさの中で、タルコフスキー監督の『サクリファイス(犠牲)』という長くて苦しい映画のラストシーンを思い出し、私はワグナーが聴きたかった。

 

 

しかし我が家にはそれがなく、仕方なしにジョンレノンを聞きながら、これからやって来る "茶色の時代" に、心を強くしようとしていた。

 

     ー 山崎佳代子 / 朝日新聞 1999年4月5日 夕刊「宇宙と、声と、沈黙と… 」

 

♫  Cold Turkey   1969

 

 

我々はこの地上での滞在を、精神的に向上するために利用しなければならないと思います。

 

とすれば、芸術はその手助けをしなければならない。しかし別の考え方もあります。芸術は認識を提供する価値を持つというのです。私は概して、認識の力をあまり信じていません。この意味で、私は不可知論者です。世界について多く知れば知るほど、我々は世界について無知になる。何故なら、ひとつの領域に深く入っていくことで、我々が人生とか世界と呼んでいるものを、幅広い視野から見る可能性を失うからです。

 

芸術は、人間が精神的に舞い上がるために、自らよりも高いところに行くために、我々が精神的意志と呼んでいるものを利用するためにあるのです。

 

        ー アンドレイ・タルコフスキー監督   1984

 

 

♫  Art For Art's Sake   1976

 

 

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