鈴木紀男「面白い吸い方するんですね?」

 

 

 

私達の理解にそのまま従えば、知覚は、私達に可能な事物への働きかけを示す尺度である。それ故また逆に、事物の私達への可能的作用を示す尺度でもある。

 

高度神経系の複雑化に象徴される、この身体の行動能力が大きくなればなるほど、知覚が包み込む場面も広くなる。従って知覚される対象から私達の身体を隔てる距離は、紛れも無く、危険の切迫の多少、期待の実現の遠近を表わす尺度である。

 

またそれ故に、私達の身体と区別されて、そこからある間隔を隔てている対象について為される私達の知覚は、何時も潜在的行動を表わしているに過ぎない。

 

 

 

小野田寛郎「火は1キロ先からでも見えるからな!」

 

 

 

しかし、対象と私達の身体との間隔が減少するにつれて、言い換えるなら、危険が切迫し期待が間近になる程、潜在的行動は益々現実的行動に変わろうとする。

 

そしていま極限まで来て距離がゼロになる場合、すなわち、知覚すべき対象が私達の身体と一致する場合を仮定してみよう。

 

それは私達自身の身体が知覚すべき対象となる場合であって、最早この全く特殊な知覚が表わしているのは、潜在的行動では無くて現実的行動であろう。感情とはまさしくこれなのだ。

       

         -アンリ・ベルグソン『物質と記憶』(田島節夫 訳)

 

 

 

 

ベルグソンでは、空間性がゼロになった対象の知覚が〈感情〉を意味している。謂わば吸収された対象の知覚をさして〈感情〉と呼んでいる。だから〈知覚〉と〈感情〉とは同位におかれる。

 

しかし私の考えでは〈感情〉と〈知覚〉とは、謂わば〈純粋感情〉とでもいうべき幸運な同調場面を仮定しない限り、決して同じ位相で共存できないものである。

 

〈感情〉では、〈知覚〉のばあい必須の条件とみなされる了解の時間性が消滅しなければならない。しかも、単なる消滅では無くて "空間化された時間" という "変容" として消滅しなければならない。

 

〈感情〉はどんな遠隔の対象をも措定するが、この措定には、対象の空間性に加えて、時間性の変容がサンドウイッチされるはずである。

 

        - 吉本隆明 / 『心的現象論序説』感情の考察についての註

 

 

 

 

「口達す」- これこそ私が長い間 待っていたものだ。

 

特殊任務要員には命令書の他に、直接、本人に口頭で命令を伝えることになっている。

 

どんな口達が命令されるのだろうか。私は胸が騒いだ。

 

 

 

しかし少佐は何もいわず、ゆっくりと命令書をたたんだ。

 

このとき初めて私は、命令が、命令通りである事を知った。

 

体の中を、びょうびょうと風が吹き抜けていった。

 

        - 小野田寛郎『たった一人の30年戦争』

 

 

小野田さんと、雪男を探した男 ~ 鈴木紀男の冒険と死 / 2018年3月25日 NHK-BS

 

 

 

♫  Cruel Wind   1972